日本大百科全書(ニッポニカ) 「行動生態学」の意味・わかりやすい解説
行動生態学
こうどうせいたいがく
behavioral ecology
生物の生態や行動を進化論(自然選択説)に基づいて説明・理解しようとする生物学の一分野。動物行動学(エソロジー)と個体群生態学を、集団遺伝学を踏まえた進化理論によって統合した分野として1970年代に成立した。
C・R・ダーウィンが自然選択説(自然淘汰(とうた)説)を提唱して以来、動物の行動や生態の適応的意義を説明しようという試みは繰り返し行われてきた。しかしながら、たとえばエソロジーの創設者であるK・Z・ローレンツが「種にとっての利益」という視点から、同種の仲間を殺さないように攻撃行動の「儀式化」が進化したと論じたように、動物の社会行動に関しては種全体を選択の単位とみなした誤った進化論が適用され続け、学界のみならず一般社会にも浸透していった。ようやく1960年代になって、種全体の利益ではなく、個体にとっての利益、すなわち各個体の残す子孫の数(適応度)あるいは遺伝子のコピーの数(包括適応度)を基準として進化を論じなければならないことが、ハミルトンWilliam Donald Hamilton(1936―2000)などにより理論的に明白に示されるようになってきた。このような進化理論を踏まえて、「なぜある行動や生態がみられるのか」を問うのが行動生態学であり、それまでの種全体論・種族繁栄論では説明できなかった利他行動・自己犠牲行動、同種の子殺し、代替戦術、性比、性差などさまざまな問題が、「利己的な遺伝子」(同名の著作をドーキンスRichard Dawkins(1941― )が、1976年に発表)をキーワードとして説明できるようになってきたのである。
この生物学の新しい分野の普及にもっとも貢献したのはイギリスのクレブスJohn Richard Krebs(1945― )であり、1981年にデイビスNicholas B. Davies(1952― )とともに『行動生態学入門』という、この分野名をタイトルにした教科書を世界で初めて出版し、その後も版を重ねている。一方、行動生態学のうち社会現象・社会行動の進化に注目した分野は「社会生物学sociobiology」とよばれ、同じく1970年代からアメリカにおいてウィルソンEdward Osborne Wilson(1929―2021)やトリバースRobert L. Trivers(1943― )らによって急激に発展したが、その理論が人間にも適当できると主張したことをめぐって激しい反発を招いた(社会生物学論争)。しかし現在では、人間の行動・心理・社会・経済などの理解にも、社会生物学・行動生態学の理論が有効であることが多くの例で実証されてきており、人間行動生態学あるいは進化心理学とよばれる分野が確立しつつある。
[桑村哲生]
『ウィルソン著、伊藤嘉昭監訳『社会生物学』全5冊(1983~1985・思索社)』▽『粕谷英一著『行動生態学入門』(1990・東海大学出版会)』▽『トリヴァース著、中嶋康裕他訳『生物の社会進化』(1991・産業図書)』▽『ドーキンス著、日高敏隆他訳『利己的な遺伝子』(1991・紀伊國屋書店)』▽『クレブス、デイビス著、山岸哲・巌佐庸訳『行動生態学(原書第2版)』(1991・蒼樹書房)』▽『伊藤嘉昭著『動物の社会――社会生物学・行動生態学入門』改訂版(1993・東海大学出版会)』▽『クレブス、デイビス編、山岸哲・巌佐庸監訳『進化からみた行動生態学(原書第3版)』(1994・蒼樹書房)』▽『長谷川寿一、長谷川眞理子著『進化と人間行動』(2000・東京大学出版会)』▽『小田亮著『約束するサル――進化からみた人の心』(2002・柏書房)』