改訂新版 世界大百科事典 「繡箔」の意味・わかりやすい解説
繡箔 (ぬいはく)
縫箔とも書き,能装束では縫箔の文字のみを使う。刺繡(ししゆう)と摺箔(すりはく)で加飾された染織品。両技法の併用は,すでに平安時代に女房装束などを中心に行われたと考えられるが,古例の遺品は室町時代末から桃山時代初期のものである。たとえば《四季草花文様繡箔小袖》(重要文化財,京都国立博物館)は梅,藤,菊,雪持笹と四季の植物を繡(ぬ)い,文様の地間に金箔を捺(お)す。また《雪持葭に水禽文様小袖》(重要文化財,岡山美術館)は繡文様の間隙に金銀の箔を摺(す)る。北政所所用と伝える京都高台寺の《亀甲花菱繫文様繡箔打掛》(重要文化財)は,すべて銀箔を捺す。おそらくこれらは明代刺繡の,繡文様の間を金糸で繡い詰めたものの影響を受けながら,より金色の光沢を生かし,繡と箔という異質の素材の変化を目して,あえて金銀箔を捺したものと考えられる。桃山時代後期には,単に地間に箔を捺し詰める以外に,型を用いた文様箔との併用が始まる。これは江戸時代初期の慶長年間(1596-1615)に最盛期を迎え,縫絞りの染分け地に小文様の集合を繡い,細緻な型による金箔文様が併用された。それ以降は能装束の縫箔として注目されるのみで,ほとんど行われなくなるが,江戸時代後期の円山派の意匠になる三井家関係の特殊な衣装類にわずかな例が見られる。例外もあるが,能装束(縫箔)も含めて,まず繡文様を施し,その後で繡を避けて箔を捺すのが伝統的な施工であったようである。
能装束としての縫箔は唐織などと同様の小袖形式の装束で,主として女役に用い,男役では天皇や童子の着付(きつけ)とする。女役の場合,摺箔を着付とし,縫箔の両肩を脱いで両袖を腰に垂れ,腰巻として着用する。さらに上に長絹(ちようけん),水衣(みずごろも),唐織などの表着を着ける。したがって文様は両袖と裾の部分にのみ現れるが,主として江戸時代の縫箔では全体に文様が施されている。文様は青海波(せいがいは)などを地文様として箔で摺り,上文様に楓葉などを繡う。いずれも女役の文様の特色を示し,秋草,桜など和様の主題による。ただ鬼女や蛇体の女で,鱗箔を着付するときは,黒や濃紺地に丸紋尽し文様がきまりである。色目(いろめ)には唐織と同様に〈紅入り(いろいり)〉と〈無紅(いろなし)〉があり,役の年齢に合わせる。箔は摺箔と同様の施工になり,刺繡は平糸を用いた平繡を中心とするきわめて古様な繡技に特色がある。なお,ときに繡文様のみのものや,文様を織り表した織物地に繡文様併用のものが見られるが,腰巻として用いる場合はすべて縫箔と呼ばれる。
執筆者:切畑 健
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報