布の装飾技術の一つ。また能装束の一種。文様を彫り透かした型紙を用いて,生地に接着剤を摺(す)り,その上に金もしくは銀箔を捺(お)す。乾燥の後,余分の箔を払い去ると箔による文様があらわれる。また生地の全体に金銀箔を捺し詰める場合も摺箔とよぶ。箔を置くことは平安時代から行われたと考えられ,《栄華物語》にも唐衣(からぎぬ)や裳(も)などに箔を置いたことがみえる。しかしこの技法が最も効果的に服飾品に用いられたのは16世紀のことである。文様としての摺箔の遺品は近世初頭の小袖におおらかな枝垂れ桜をあらわしたものがあり,一方,菊や梅,桜をきわめて精巧に見せる例があり,この時期に頂点をきわめたといえよう。江戸時代初期には小紋風の詰文様がしばしば見られ,この技術の展開がわかる。近世における摺箔は中国明代の印金(いんきん)の影響によるといわれるが,印金は接着剤も箔もかなり厚く金属的であるのに対し,近世初期の摺箔は接着剤も箔も薄く,生地に溶け込むように柔らかくかなり異なった風合いを示す。1683年(天和3)の禁令で衣料に金銀の使用が禁ぜられて後は,普通の衣服にはあまり用いられなくなった。
摺箔はまた能装束の女役の着付の名称でもある。江戸期を通じて女役の着付に摺箔文様がさかんに用いられ,着付そのものをも摺箔とよぶこととなった。老若によって生地の色が変化し,文様も異なる。特に著名なのは,一般に鬼女の役に着用する三角形を互(ぐ)の目に重ねた鱗(うろこ)箔である。江戸時代中期以来,摺箔文様を地として,繡(ぬい)文様を上文様とした繡入り摺箔がしばしば製作された。
執筆者:切畑 健
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裂地(きれじ)へ金銀箔を接着させて模様を表すこと。金銀粉を接着剤に混ぜて筆書きする金泥絵や、金銀箔を細く切ったものを貼(は)り付ける切金(きりかね)などに対して摺箔という。その技法は、紙に文様を切り透かした型紙を用い、これに接着用の媒剤(通常姫糊(ひめのり))を施し、これの乾かぬうちに箔をのせて柔らかい綿などで軽く押さえ、そのまま乾燥させたのち、刷毛(はけ)で余分の箔を払い落とす。ただ一般に摺箔は、これだけ単独に用いることは少なく、刺しゅう、友禅染めなどと併用して部分的に使われることが多い。縫箔などという名称のあるのはそのためである。
箔だけで模様を置いたものに能装束の摺箔がある。これは能の女役が着付に用いる装束で、このために能では摺箔ということばがこの装束の名称になっている。とくに『道成寺(どうじょうじ)』や『葵上(あおいのうえ)』などに用いられる三角つなぎを摺った鱗(うろこ)箔は、女の執念が蛇体(じゃたい)の鬼と化した姿を象徴する装束として知られる。
[山辺知行]
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…またこれを模倣して作られた日本製のものに〈奈良印金〉〈京印金〉があるが,あまり上質のものではない。一方室町・桃山時代のころから小袖の加飾技法として盛んに用いられた〈摺箔(すりはく)〉は外来の印金に触発されて発達したともいわれるように,技術的には印金と同種のもので,ししゅうや絞(しぼり)と並用したり,単独に用いてみごとな小袖模様を形成してきた。同種の技術はジャワやバリ,インドの染織品のなかにも見られ,模様染や絣などと併用されている。…
…媒染剤としての鉄の使用は古くにさかのぼると考えられるが,その技術にまでふれた記録としては,これが最古と思われる。 染色加工として,金銀摺箔の盛行も当代の大きな特色といえよう。1392年(元中9∥明徳3)8月の相国寺法堂供養に出掛けた足利義満の行列には40人の警護の武士がみな金銀箔で加飾した直垂に白鞘の太刀を佩(は)いていたと記されているし,また1430年(永享2)7月に行われた将軍足利義教の拝賀の行列には,随兵に従う下士までが紺地に銀箔の紋を置いた直垂を着用していたと記されている。…
※「摺箔」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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