義湘(読み)ぎしょう

精選版 日本国語大辞典 「義湘」の意味・読み・例文・類語

ぎしょうギシャウ【義湘】

  1. 七世紀の新羅の僧。入唐し、智儼より華厳を学ぶ。帰国後、浮石寺を開き、教えを広めた。著に「一乗法界図」がある。(六二五‐七〇二

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「義湘」の意味・わかりやすい解説

義湘
ぎしょう
(625―702)

新羅(しらぎ)(朝鮮)の僧。諡(おくりな)は円教国師。「海東華厳(かいとうけごん)初祖」と尊称される。俗姓は金氏。20歳で出家し、650年、元暁(がんぎょう)とともに入唐(にっとう)を志したが果たさず、661年に至って入唐し、智儼(ちごん)(602―668)に従って華厳教学を学び、智儼没後の671年に帰国した。676年に太伯山(たいはくざん)に入り、朝廷の命を受けて浮石寺(ふせきじ)を建て、これを中心として盛んに華厳思想を広め、朝鮮仏教の発展の基礎を築いた。著書に『一乗法界図(いちじょうほっかいず)』1巻などがあり、門下に悟真(ごしん)、智通(ちつう)、表訓(ひょうくん)らがいる。

木村清孝 2017年1月19日]

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改訂新版 世界大百科事典 「義湘」の意味・わかりやすい解説

義湘 (ぎしょう)
Ǔi-sang
生没年:625-702

朝鮮,新羅の僧。新羅華厳宗開祖で,円教国師とも称される。661年に海路で唐にわたり,長安の終南山至相寺で智儼の教えを受けた。671年に帰国し,676年には浮石寺創建して華厳宗の布教に力を注いだ。また文武王書状を送って築城工事を中止させたとも伝えられており,その政治的側面も注目されている。著書は《華厳一乗法界図》《白花道場発願文》などがある。在唐修行時代の同門に華厳宗を大成した法蔵がおり,義湘にあてた法蔵の書状が現存する。また義湘は日本にも大きな影響を与えており,栂尾高山寺には明恵上人がまとめた《華厳縁起絵巻》中の〈義湘絵〉が伝えられている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「義湘」の意味・わかりやすい解説

義湘
ぎしょう
Ǔisang

[生]真平王47(625)
[没]聖徳王1(702)
朝鮮における華厳宗の開祖。新羅の鶏林府の人。高麗朝になって「大聖円教国師」の号を贈られた。真徳女王4 (650) 年元暁大師とともに陸路長安におもむくため出発,途中高句麗兵に捕われて失敗し帰国。次いで文武王1 (661) 年唐船を利用して揚州経由で長安に行き,終南山至相寺で智儼について華厳の教義を学び,同 11年帰国,洛山寺を創建。同 16年には王命を受けて太白山に浮石寺を創建。その他華厳寺,海印寺などで華厳の教義を説いた。『華厳一乗法界図』などの著作を残した。その弟子たちは義寂ら十大徳の名で知られる。

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世界大百科事典(旧版)内の義湘の言及

【華厳縁起】より

…《華厳宗祖師絵巻》ともいわれる。7世紀の半ば,唐に渡り華厳宗を新羅に伝えた2人の祖師,義湘(ぎしよう)と元暁の行業を描く絵巻。制作は13世紀前半。…

※「義湘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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