語義に従えば,戯曲の原語を自分たちの言葉に翻訳して上演する劇を指す。一般的には他国語を自国語に翻訳することだが,古代ギリシア語を近代ギリシア語に翻訳して,ギリシア古典劇を上演することが現代ギリシアにおいてしばしば行われているように,自国の古代語を近代語に翻訳することもある。また中国のような多民族国家において,他民族・他地域語を自民族・自地域語に翻訳上演する場合も,翻訳劇といえる。つまり,演劇は俳優による言語の肉体化が前提となる以上,俳優および観衆にとっていちばん真実感のある言語表現が他の文学作品の場合以上に要求される。たとえばシェークスピア劇の原語は一つでも,日本においては時代により上演集団により,多様な翻訳者による多様な日本語シェークスピア劇が存在するわけである。とりわけ日本の〈演劇近代化〉の過程においては,外国戯曲の受容と上演が盛んになると,言語構造や風俗・習慣また文化背景が異質な外国戯曲の上演法として翻訳劇と翻案劇の2傾向が生み出され,欧米諸国間相互の翻訳上演とは比較できない独特な翻訳劇様式が創出された。
日本における外国戯曲の翻訳はほぼ明治10年代(1878-87)に始まり,上演とは直接的に結びつかない文学的戯曲紹介がまず先行した。外山正一訳《西洋浄瑠璃ハムレット 霊験皇子の仇討》(1881)の訳稿,河島敬蔵訳《欧州戯曲 ジュリアス・シーザルの劇》(1883,新聞連載),坪内逍遥訳《該撒奇談(しいざるきだん) 自由太刀余波鋭鋒(じゆうのたちなごりのきれあじ)》(1884刊)のようにシェークスピア劇の紹介が多かった。明治20年代(1888-97)に入ると文学的翻訳と演劇的翻案とに二分化し出す。すなわち,福地桜痴作《舞扇恨之刃(まいおうぎうらみのやいば)》(V. サルドゥー原作《トスカ》,1891年歌舞伎上演)や尾崎紅葉作《夏小袖》(モリエール原作《守銭奴》,1897年新派上演)のように日本化されて歌舞伎や新派の脚光を浴びる翻案上演が進む一方で,森鷗外訳のG.E.レッシング戯曲(1892)や高安月郊訳のH.イプセン劇(1893)など,さまざまな西欧近代戯曲の翻訳も始まった。
原作に忠実な文学的翻訳戯曲の上演は明治40年代(1908-12)に入ってからであり,文芸協会,自由劇場の新劇運動ではイプセン劇などの翻訳劇上演が主体となり,1924年の築地小劇場創立により名実ともに翻訳劇時代を確立するにいたった。つまり西欧近代の自然主義的写実劇の影響を強く受け,赤毛のかつらをつけた扮装,つけ鼻や顔の凹凸を強調する化粧,物言いや動作にいたるまで外国人らしさをまねる演技術を生み出し,日本独自の翻訳劇上演様式を創りだしたのである。このような翻訳劇上演様式は,以降戦後の1960年代に至るまで,新劇団の欧米戯曲上演においてはその基本的部分が継承されていった。明治40年代から大正期にかけての翻訳劇は,シェークスピア劇を別格とし,北欧,ドイツ,ロシアの近代劇が主流を占めていた。またこのような翻訳劇優先の態度は,日本の近代戯曲を〈創作劇〉と呼ぶ奇妙な習慣もつくりだした。
1960年代以降は,日本の生活習慣もすっかり欧米化し,国際交流も盛んとなり,また何よりも演劇におけるさまざまな革新の動きを背景にして自然主義的写実劇様式が衰えるにつれ,直訳的翻訳よりも原作との対応を重視する脚色的翻訳の上演法が主流を占めるにいたった。つまり,せりふにしても,類型化していえば〈はい,旦那様〉とか〈こんにちは,お嬢さん〉といったようなわれわれの日常生活からあまりにもかけはなれた珍妙な日本語ではなくて,舞台における日本語としてのリアリティが重視され,扮装やかつら,化粧の外国人らしさにこだわらず,日本人としての身体的リアリティに基づく人物表現が主体となった。
→新劇
執筆者:石沢 秀二
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
… 文芸協会,自由劇場に刺激され,新派の井上正夫も10年に〈新時代劇協会〉を発足させ,また同じ年に新帰朝の劇作家中村吉蔵を中心に〈新社会劇団〉なども誕生した。明治末期から関東大震災にいたるまでは,数多くの新劇団の消長があり,演劇的には未成熟と思われる,翻訳劇の単なる作品紹介的な上演活動が展開された。たとえば,逍遥邸の演劇研究所設立以降の後期文芸協会にしても,上演9演目中,シェークスピア劇3演目を含む7演目が外国戯曲であったし,自由劇場上演15演目中,9演目が西欧近代戯曲であった。…
※「翻訳劇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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