ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「耆英」の意味・わかりやすい解説
耆英
きえい
Qi-ying; Ch`i-ying
[没]咸豊8(1858)
中国,清末の政治家。宗室 (皇族の意) 出身で,満州正藍旗の人。字は介春。嘉慶 11 (1806) 年宗人府主事となり,以後,理藩院侍郎,礼部尚書,戸部尚書,熱河都統など歴任し,道光 18 (38) 年盛京将軍となってアヘン取締りや満州の海防に活躍。同 22年広州将軍,欽差大臣として広東におもむき,全権として南京条約に調印した。次いで両江総督,両広総督を歴任し,虎門寨追加条約,望厦条約,黄埔条約を締結。同 28年文淵閣大学士となる。のち軟弱外交を非難され,咸豊8 (58) 年の天津条約締結の際にはイギリス人から広東での背信を責められ,罪に問われて自殺した。
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