聖火リレー
せいかりれー
オリンピック開会式の行事の一つ。トーチリレーtorch relayの通称として使われている。国際オリンピック委員会(IOC)のオリンピック憲章に「オリンピック聖火とは、IOC の権限の下にオリンピアで点火された火をいう。オリンピック・トーチとは、運搬用のトーチまたはそのレプリカで、IOC により承認されたオリンピック聖火を燃やすためのものをいう」と規定されている。聖火リレーは1936年の第11回ベルリン大会で初めて採用された。その発案がナチス陸軍のものであるところから、第二次世界大戦後その存続が論議されたが、式典を盛り上げるものとして継続して採用された。この聖火は、古代オリンピック発祥の地オリンピアのヘラ神殿の前で、ギリシアの女優たちにより太陽光から採火され、開催地の国内をリレーされ、開会式の行事にあわせて、メインスタジアムの聖火台に点火される。冬季大会では、オリンピアで採火されたのは第9回インスブルック大会からである。
[鈴木良徳]
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聖火リレー
せいかリレー
Olympic torch relay
古代オリンピック発祥の地であるオリュンピアのヘラの神殿の前で,ギリシアの女優たちの手で太陽光線から採火された火(→オリンピック聖火)を,リレーによってオリンピック競技大会開催地のメインスタジアムまで運ぶこと。1936年のベルリン・オリンピック競技大会の際に,スポーツ歴史学者で組織委員会事務総長を務めたカール・ディームの発案で初めて試みられた。第2次世界大戦後,存続の是非が問題になったこともあるが,大会前にオリンピックを盛り上げる効果があり継続された。2004年の第28回アテネ・オリンピック競技大会では,近代オリンピックが最初に開かれた都市に大会が戻ることを記念し,かつてのオリンピック開催都市を中心に史上初の五大陸リレーを行なった。
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せいか‐リレー セイクヮ‥【聖火リレー】
〘名〙 (リレーはrelay)
アテネのオリンピアで採火した聖火を、国際オリンピック競技大会主競技場聖火台まで運ぶリレー。一九三六年ベルリン大会に始まる。
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せいかリレー【聖火リレー】
オリンピック大会の開会式典を飾る儀式の一つ。古代オリュンピア祭の〈たいまつ競走〉の故事にならい,聖火は聖地オリュンピア(ギリシア)で,古代ギリシアの巫女(みこ)に扮した女性により採火される。開会式典でメーンスタジアムの聖火台に点火され,大会の終了まで燃え続ける。この儀式は平和と人類愛をうたうオリンピック理念を象徴するものといわれている。リレー方式が最初に採用されたのは,1936年の第11回ベルリン大会で,聖火コースの設定が当時ナチス政権による〈軍事目的の実地調査〉との批判があった。
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世界大百科事典内の聖火リレーの言及
【オリンピック】より
…36年,ヒトラー政権下のベルリンで開かれた第11回大会で,ナチ政府は競技場に〈ハーケンクロイツ(かぎ十字)〉の党旗を初めて公式の国旗として掲げるなど政治色が濃かったが,IOCはオリンピック大会の主催権がIOCにあることを主張して,ユダヤ人排斥の宣伝物を会場周辺から撤去させるなど,極力政治的干渉に抵抗し,オリンピック運動の独自性確保に成功した。聖火リレー,聖火台(1936),3段の表彰台(1932)など,のちにIOCで規定される式典様式はこの大会で創始されたものが多く,オリンピック大会の規模と形式は,ロサンゼルスとベルリンの両大会から決定的な影響を受けた。IOCが記録映画をつくるようになったのもベルリン大会からであり,L.リーフェンシュタールの《民族の祭典》と《美の祭典》(ともに1938)はベネチア映画祭で金賞を受賞。…
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