盲人の自治組織である当道の中央支配機関の通称。また,その所在する屋敷そのものをいう。江戸初期には京都仏光寺通烏丸東入ルにあったが,後に高倉通仏光寺上ルに移り,元治の大火(1864)後,元に戻った。屋敷内に,職検校の位牌所である清聚庵がある。この屋敷内で,職検校(一老検校,通称として惣検校または総検校ともいう)をはじめ十老検校までの10名(職十老,十﨟とも)が,当道座支配のための官位免許や官金配分などの職務を執り,職検校はこの屋敷に居住した。職屋敷は覚一検校(1300ころ-71)の時代に始まるといわれるが確証はない。1871年(明治4),鶴岡惣検校のときに廃絶した。なお,1692年(元禄5)には江戸神田に惣録屋敷が置かれ,将軍任命の惣録検校を惣検校と称し,京都の職検校より上位とされることもあった。1736年(元文1)には惣検校の称号は京都に戻し,惣録検校は江戸および関八州ならびにその周辺のみ支配したが,官位免許権はなかった。惣録屋敷は,1741年(寛保1)本所一ッ目に移され,1871年多喜川惣録検校のときに,職屋敷同様廃絶した。そのほか,藩によっては地方支配機関たる仕置屋敷のあったところもあり,女性の盲人は瞽女(ごぜ)屋敷が支配した。
執筆者:平野 健次
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…その芸能が〈平曲〉としてとくに武家社会に享受され,室町幕府の庇護を受けるに及んで,平曲を語る芸能僧たちは宗教組織から離脱して自治的な職能集団を結成,宗教組織にとどまっていた盲僧と区別して,みずからを当道と呼称した。覚一(かくいち)検校(1300?‐71)の時代に至って,組織の体系化が行われ,当道に属する盲人を,検校,勾当(こうとう),座頭などの官位に分かち,全体を職(しよく)または職検校が統括し,その居所である京都の職屋敷がその統括事務たる座務を行う場所となった。さらに,仁明天皇の皇子で盲人の人康(さねやす)親王を祖と仰ぐなどの権威づけを行い,治外法権的性格を持つに至った。…
※「職屋敷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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