脇本城跡(読み)わきもとじようあと

日本歴史地名大系 「脇本城跡」の解説

脇本城跡
わきもとじようあと

[現在地名]男鹿市脇本脇本 七沢

脇本の西、日本海に南面する標高約一〇〇メートルの丘陵上に位置する。「柞山峯之嵐」に「城地山城にして嶮岨なり。陸には八郎潟を前にして後には男鹿島高山つゝき、一方は海上屏風の如く嶮岨なり。又一方は寒風山の岨中々矢玉も届き難く、馬蹄も立かたく、足場のかかりもなき要地なり」とある険阻の地。

湊・檜山両家合戦覚書(秋田家文書)に「ヲガノ城」とあり、正保四年(一六四七)の出羽一国絵図には古城とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「脇本城跡」の解説

わきもとじょうあと【脇本城跡】


秋田県男鹿(おが)市脇本にある山城跡。男鹿半島付け根南岸の丘陵上に位置する。1570年(元亀1)頃、津軽地方の有力な豪族である安東氏の一族、檜山安東氏、湊安東氏を統一した安東愛季(ちかすえ)が既存の城を改修して築いた。1590年(天正18)の秀吉の奥州仕置から、1602年(慶長7)に佐竹氏が久保田城を築城するまでの間に廃城となった。1993年(平成5)から縄張り調査、2000年(平成12)から発掘調査が実施され、2004年(平成16)に国指定史跡となった。内館地区、馬乗場(古館)地区、兜ヶ崎地区の3地区におもな遺構が分布している。遺物では、瀬戸美濃焼、能登珠洲焼、越前焼、中国産の白磁青磁、染付、褐釉など、15~16世紀のものが確認されている。近辺に現存する萬境(ばんきょう)寺、本明(ほんみょう)寺などはそのゆかりの寺である。JR男鹿線脇本駅から徒歩約20分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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