福井県越前市の旧武生市の西端から越前町の旧宮崎村・旧織田町にかけての丹生山地で焼かれた中世~近世の陶器。丹生山地に展開した須恵器生産を母胎とし,平安時代末ころ,東海地方の瓷器(しき)系陶器の技法を導入して酸化焰焼成の越前焼に転じた。中世の古窯跡は十数群,160基余り確認されており,北陸最大の窯業地を形成した。製品は壺・甕・擂鉢(すりばち)を主とし,初期には三筋壺や水注などを焼いているが,碗・皿類はない。室町時代中~後期には古越前特有の双耳壺が数多く焼かれており,片口小壺は室町末から桃山時代にかけて肩に両耳をもつものが量産され,越前おはぐろ壺の名で親しまれている。古越前の商圏は北海道までの日本海沿岸と近畿の一部に及んでいるが,近世に入ると瀬戸・美濃・唐津・有田のすぐれた陶磁器の流入によって,一地方窯に転落し,農村・漁村を対象とした雑器生産に低迷した。近年では上質の越前瓦の生産によって命脈を保っている。
執筆者:楢崎 彰一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
福井県丹生(にゅう)郡一帯で焼かれた焼物。古代の須恵器(すえき)を母体にし、愛知県の常滑(とこなめ)焼の影響のもとに越前焼が開かれたのは平安末期の12世紀後半であった。粘土紐(ひも)を巻き上げて成形し、自然釉(ゆう)がなだれかかる壺(つぼ)の形式や三筋(みすじ)文様にその名残(なごり)をとどめ、鎌倉時代を通じて作風は常滑焼に支配されていたが、室町中期の15世紀には肩がなだらかとなった、口造(くちづくり)の小さい独自の様式をつくりあげた。古窯址(こようし)は丹生郡越前町織田を中心に同町宮崎地区に広がり、47基が確認されている。陶業はそのまま近世にも受け継がれ、桃山時代には鉄釉を施すようになり、その製品の流通も北海道から山陰と広範囲にわたっており、中世では日本海側の最大の窯であった。
[矢部良明]
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