手本画の模写による没個性的な絵画に対して、子供の見たまま感じたままを自由に表現させた絵画をいう。1904年(明治37)の図画教育調査委員会報告、10年からの『新定画帖(がじょう)』(文部省著作の教科書)の発行などは写生画を重視し、ようやく従来の臨画教育から脱却しようとする気運が高まりつつあった。自由画教育の提唱者山本鼎(かなえ)はロシアでの見聞をもとに、18年(大正7)12月からわが国美術教育史上画期的な自由画教育運動を展開した。その主張の眼目は、芸術の本質である創造性の教育を目ざす点にあった。この主張の背後には、子供がもっている「創造的種子」に対する確信があり、臨画教育の模倣は厳しく非難された。19年には日本児童自由画協会が設立され、各地でクレヨンを使った自由画の展覧会が開催された。自由画運動は大正期の教育理想の現れであったが、その影響は今日にも及んでいる。
[大林正昭]
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