改訂新版 世界大百科事典 「自由統一党」の意味・わかりやすい解説
自由統一党 (じゆうとういつとう)
Liberal Unionists
1886年から20世紀の初めにかけて存在したイギリスの政党。86年,自由党の党首グラッドストンが時の最大の政治課題と考えたアイルランド自治法案を下院に提出すると,J.チェンバレンの率いる党内急進派とハーティントン卿を中心とするホイッグ貴族は,イギリス帝国の保全をより重視する立場からこの法案に反対し,自由党を脱退して自由統一党を結成した。〈統一〉という言葉の意味は,グレート・ブリテン島とアイルランドの統一のことで,この政党はその後,全イギリス帝国の保全と統合を党是とする保守党との連携を強め,両者合して統一党の名称の下に一括されるようになっていった。95年に成立した第3次ソールズベリー内閣は統一党の内閣といわれ,チェンバレンも植民相として入閣し,ボーア戦争を遂行した。だが,戦争終結後,チェンバレンが関税改革の運動をくりひろげると,デボンシャー公(かつてのハーティントン卿)がこれに反対し,党内は混乱状態に陥り,1906年,チェンバレンが脳卒中で倒れて政界を引退するに及んで,自由統一党の存在意義は失われた。なお,統一党の名称は,アイルランドが独立を達成する20年代まで用いられ続けた。
執筆者:村岡 健次
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報