舞台上で出演者の着る衣装。演劇、舞踊など舞台芸術を構成する一要素で、大きくは舞台美術に含まれる。ただし能、狂言、舞楽では衣装とはいわずに装束(しょうぞく)という。英語ではステージ・コスチュームstage costume、シアトリカル・コスチュームtheatrical costumeという。
舞台衣装は上演される台本や音楽、演出、美術、出演者によってあらゆる様式があり、無限の可能性がある。日常性からの飛躍、象徴性、抽象性、装飾性、格式性、風俗性、歴史性、また時代の美意識などによって多方面な表現がある。舞台衣装のなかには、能、狂言、歌舞伎(かぶき)、クラシックバレエのように約束事のある衣装もあるが、これも絶対のものではない。たとえば能の場合は面も装束も演者によってそのつど選ばれ、歌舞伎の役者も自分にあわせて色や形に絶えずくふうをしている。バレエのチュチュは時代とともに素材や踊り手の体形が変わったことにもよって、19世紀につくられた形とは大きく変化している。
西欧における舞台衣装の歴史は、古代ギリシア演劇に始まり、着るものよりむしろ誇張された大きな仮面をつけるのが特徴であった。中世宗教劇の時代には、庶民の間で、悪魔や動物、天使などに扮(ふん)して、仮面や衣装もかなり凝ってつくられるようになった。16世紀末、封建諸侯お抱えの専門劇団ができるようになって、衣装は宮廷から与えられ、はでになっていったが、上演される芝居の時代とか内容に関係なく、ギリシアの神々も当時の服装をして舞台にあがった。19世紀、近代劇が生まれ、自然主義や心理劇の台頭とともに演出が重要視されるようになり、舞台装置が従来の平面的、絵画的なものから立体的、彫刻的、写実的なものと変わり、照明も加わって、時代考証がなされた写実的な衣装となり、統一された舞台美術の一環として確立されていった。20世紀には写実主義の反動として表現主義、構成主義、立体派、未来派などが現れ、多くの画家が一つの芸術運動として舞台美術に参加した。L・バクスト、N・S・ゴンチャロフ、ピカソ、シャガール、A・N・ブノワ、マチスらも舞台衣装を手がけている。
日本では、能の場合、初期にはひいきの貴族たちからの拝領品を使用したりしていたが、しだいに演者自身によってくふうされ、象徴のうちに独得な貴族趣味的様式美を生み出していった。現在でも能、狂言には衣装屋も着付方もかかわっていない。歌舞伎衣装はすでに江戸時代から貸し衣装屋があったが、本来かつらとともに役者の自前であったので、役者自身の趣味で衣装方と相談しながら趣向を凝らして衣装をつくって客を楽しませていた。現在でも特別な新作物以外では、統一された舞台美術としてのデザイナーはいない。衣装方のなかにデザイナーである衣装立、着付方、仕立方の区分がある。明治末期に近代劇が導入され、ヨーロッパ演劇のシステムがもたらされて、オペラや新劇などに衣装デザインが必要となった。
舞台衣装の実際は、まず上演される台本、音楽などが決められた時点で、プロデューサーが演出家と各スタッフを選ぶ。選ばれた衣装デザイナーは台本、音楽などを検討し、劇場の条件を考慮しながら、演出家、装置家、照明家、舞台監督、出演者らと打合せを重ね、稽古(けいこ)を見ながら、デザイン画をおこしていく。デザイン画は、帽子、ヘアスタイル、メーキャップ、靴、持ち物も含む。日本の状況では、劇場内部に衣装部を抱えていないので、衣装制作会社または個人工房に制作を発注する。デザイナーは布地その他の材料を選定し、仮縫いに立ち会い、形にしていく。できあがったものに、さらに役にあわせて、古びた感じを出すために汚したり、全体の色調をあわせるために色を染めたりして仕上げる。舞台稽古に初めて装置や照明のなかで役者が着て、演出家、デザイナーで検討し、さらに仕上げの手直しをする。舞台衣装に使う素材は、絹、木綿、毛織、麻、化繊、合繊など布地のほかに、皮革、毛皮、羽根、金属、鯨骨、蝋(ろう)、ビニル、ナイロン、プラスチック、ゴム、スチロール、ウレタン、紙など用途に応じいろいろとくふうされて使われる。
[緒方規矩子]
『真野誠二著『舞台衣裳入門』(1977・美術出版社)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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