演劇用語で,役柄に合わせた俳優の顔のこしらえのことをいう。
未開社会の儀式的芸能では,演者の変身をあらわすのに仮面を使うか顔を色模様で飾ることが多いが,演劇は初期形態から何らかの顔の扮装を伴ってきた。古代ギリシア演劇が仮面を使用したのは,伝説的に最初の悲劇俳優と伝えられるテスピスに始まるとされるが,ローマ演劇も基本的に仮面劇であった。中世宗教劇は仮面を使わなかったから,役柄に合わせた扮装が要求され,14世紀以降に盛んになる奇跡劇では,悪魔,天使,聖者,動物など独特のメーキャップをもつものが登場した。その伝統は16世紀に成立したイタリアの職業的な仮面即興劇〈コメディア・デラルテ〉にも流れ込んでいるとみられる。アルレッキーノ,パンタローネ,ドットーレその他の類型人物は,その役柄を示すため,半仮面や顔の扮装を必要とした。ここに始まる道化の白塗りのメーキャップは近代のサーカスのクラウンにまでつづいている。
ヨーロッパでは18世紀終りころまで,俳優は劇の時代設定を無視して,同時代の(つまり自分たちの時代の)人物衣裳で舞台に立つのが通常だったから,メーキャップも大方は日常のそれを遠く出ないもので済んでいた。それでも,イギリスのエリザベス朝演劇では黒人役は顔を黒く塗り,農夫は日焼けした顔にし,亡霊は青白くし,酒飲みは赤い鼻をつけるといった扮装をほどこしていた。イタリア生れの俳優L.リッコボーニの《ヨーロッパ演劇史挿話》(1738)によると,イギリス俳優のジェームズ・スピラーは,顔にしわを描き,まゆやまぶたを塗って,自分より40歳年上の役柄を演じたという。18世紀後半の名優デービッド・ギャリックも役柄の年齢,特に老人の顔に応じたメーキャップの巧みさで評判をとっていた。しかし,舞台照明技術の貧弱なところでは,メーキャップもまた高度なものは要求されなかった。いわゆる近代のドーラン化粧(油脂性のねりおしろい)の発明以前は,粉を水に溶かして使う化粧が普通で,乾きが遅く,演技中に汗で流れるなどの欠点があった。しかもこれは皮膚をいため,鉛が混入している場合は危険でもあった。
基本的にリアリズムに立つ近代ヨーロッパ演劇では,19世紀初めのガス灯照明の導入を契機にメーキャップも大きく変化しはじめた。下地にグリース(油脂)を使い出し,化粧落しにコールド・クリームを使うことは1860年代までに一般化した。ドーラン化粧は1865年ころ,ワーグナー歌手だったルートウィヒ・ライヒナーLudwig Leichner(1836-?)が発明したものといわれる。彼は73年にその工場を開き棒型のものを生産した。そのころのドーランは,薄い肌色からインディアンの赤茶色まで8等級の区別がつけられていたが,これはやがて20等級まで増え,のち1938年には54等級にまでなった。このドーラン化粧は1890年ころまでにヨーロッパでは一般的となる。メーキャップは電気照明の始まりによって一段とリアルなものが要求され,映画,テレビの出現がそれに拍車をかけた。チューブ入り,缶入りのドーランもあらわれ,マックス・ファクターMax Factorによる〈パンケーキ〉は,化粧を容易にかつ細かなものにするのに役立った。彼は映画俳優のメーキャップの技術向上に寄与したとして,アカデミー特別賞も受けている。
映画,テレビには専門の顔師がいてメーキャップをするが,演劇では原則として俳優が自分で顔を作る。ドーラン化粧ではまず肌をきれいにし,グリースかコールド・クリームで下地を塗り,ドーランの色を選んで塗る。まゆはつぶして書き直し,目のまわりや鼻すじは黒い線で描き際立たせる。その他,年齢に応じて皺を描き,作りものを付着させる。1人の俳優が同一劇中で青年期から老年までを演じるのは珍しくないが,役柄の変化はメーキャップに依存するところが大きい。今日では,舞台と客席の間の距離の小さい劇場も増え,日常での女性の化粧法が進んだせいもあって,舞台上と現実生活のメーキャップの差はそれほど大きくない。
→化粧 →舞台衣裳
執筆者:毛利 三彌
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
化粧、扮装(ふんそう)の意。一般的な女性の化粧(基礎化粧に対する仕上げ化粧)のほか、俳優の舞台化粧にも使われる用語。
[編集部]
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…【木村 雄之助】
[西洋演劇の鬘]
古代ギリシア劇では仮面に髪がつけられ,ローマ演劇にも引き継がれたが,近世演劇は人物の風俗考証を無視し,俳優はすべて同時代人の容姿で舞台に立ったから,演劇用の鬘も日常生活のそれに見合っていた。舞台で鬘がメーキャップの一部として重要性を担うのは,18世紀末に人物の風俗に時代考証を重んじ出してからである。つまり日常生活のなかで鬘が使われなくなるにつれ,演劇の鬘が意識されてくる。…
※「メーキャップ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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