中世後期~近世の租税の一形態。中世後期東海地方でみられる色成は,〈いろなし〉と表現され,名主職の一部をなす田畠が売買・寄進された場合,本名・親名に対する入手者の負担として記される。反別20~100文,または年貢の1割前後の額の銭納が一般的であるが,生産物納の例もある。これを職(しき)の体系に位置づけられる公方(くぼう)年貢に包括されるとみるか,本名主の得分とみるかについては見解が分かれている。近世前期関東地方の幕領でみられる色成は,畑方から徴収した生産物年貢をさし,貨幣(永)で表された年貢総高のうち,一定部分が綿,紬,荏などその土地に応じた生産物で納められていた。この制度は領主側の必要から成立したものと考えられているが,16世紀末~17世紀初には消滅した。以後は,18世紀末成立の《地方(じかた)凡例録》などによると,本途とは別に計上された雑税として納められる荏,大豆,もち米などの生産物を一般に色成と称した。
執筆者:上村 喜久子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中世末期~近世にみられた税。
(1)中世末期では「色成し」「色済」と書き、「いろなし」と読んだようである。新たに名主得分(みょうしゅとくぶん)を獲得した者が、自らの下地(したじ)に対する権利を保障させるため、本名(親名)に対して公方(くぼう)年貢相当額を色成年貢として出した。
(2)近世、関東などでは、畑方(はたかた)年貢を貨幣高(永(えい))で表し、その大半を銭納したが、残りの一定額相当を糯米(もちごめ)、綿、紬(つむぎ)、荏(え)、大豆、漆、雑穀などの生産物で納入した。これが色成である。しかし、この制度も元禄(げんろく)~享保(きょうほう)期(1688~1735)には消滅して貨幣納化が進み、多くは小物成(こものなり)として計算され、一部が本途(ほんど)物成のうちに含まれるにすぎなくなった。
[飯沼賢司]
『新行紀一著『一向一揆の基礎構造』(1975・吉川弘文館)』▽『高島緑雄著「貢租型態と貢租負担」(『封建村落』所収・1958・文雅堂書店)』
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※「色成」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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