芳徳寺(読み)ほうとくじ

日本歴史地名大系 「芳徳寺」の解説

芳徳寺
ほうとくじ

[現在地名]奈良市柳生下町

柳生下やぎゆうしも町の南東の山上にある。神護山芳徳禅寺と称し、臨済宗大徳寺派。本尊釈迦如来。寛永一五年(一六三八)柳生藩主柳生宗矩が亡父石舟斎宗厳供養のため創建し、柳生氏代々の菩提所となった。開基沢庵、第一世列堂(義仙)は宗矩の末男。正保三年(一六四六)宗矩の没後、その所領のうち二〇〇石を得た。翌年一月一七日の「法徳寺」に対する朱印状(庁中漫録)に「当寺領大和国添上郡小柳生下村之内弐百石事、依柳生但馬守菩提所新寄附之願並寺中境内山林竹木等免除之全収納永不可有相違也」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「芳徳寺」の意味・わかりやすい解説

芳徳寺
ほうとくじ

奈良市柳生下(やぎゅうしも)町にある臨済(りんざい)宗大徳寺派の寺。神護山(しんごさん)と号する。1638年(寛永15)柳生但馬守宗矩(たじまのかみむねのり)が亡父宗厳(むねよし)の供養のために沢庵宗彭(たくあんそうほう)を開山として創立したもので、宗矩の死後、その末子の列堂義仙(れつどうぎせん)が第1世となった。以後、柳生家代々の菩提(ぼだい)所であったが、廃藩後は荒廃。明治末年には無住となったが、1921年(大正10)復興した。寺宝には大仏師康看作の柳生宗矩像、康春作の沢庵和尚坐像(おしょうざぞう)などがあり、境内には柳生家代々の墓がある。

菅沼 晃]

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世界大百科事典(旧版)内の芳徳寺の言及

【柳生】より

…新陰流の剣法で知られる柳生氏は当地の土豪で,将軍徳川秀忠,家光の兵法師範をつとめた柳生宗矩は1636年(寛永13)大名に列し,柳生の正木坂に陣屋を置いた。かつての柳生氏の居城跡に宗矩が創建したという臨済宗芳徳寺には,柳生氏一族の墓80余基が並ぶ。柳生藩家老であった小山田氏の石垣をめぐらした屋敷や,柳生十兵衛が植えたという杉の大木〈十兵衛杉〉がある。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」