日本大百科全書(ニッポニカ) 「芳賀日出男」の意味・わかりやすい解説
芳賀日出男
はがひでお
(1921―2022)
写真家。民俗儀礼、祭事などのテーマを一貫して追求してきた、日本の民俗写真の第一人者。満州(現、中国東北部)の旅順に生まれる。1939年(昭和14)上京し、慶応義塾大学予科へ入学。「慶応カメラクラブ」に入会し、写真撮影に熱中し始める。同大学文学部中国文学科在学中に折口信夫(おりくちしのぶ)の講義を聴き、民俗学への関心を深める。1943年学徒徴兵により海軍に入隊(翌年大学を繰り上げ卒業)。第二次世界大戦の終結で復員後、1946年(昭和21)より日本通信社へ入社、中国のラジオ放送を傍受して新聞各社に配信する仕事に携わりつつ、写真雑誌に作品を発表し始める。1953年、フリーランス・カメラマンとなり、稲作にまつわる農耕儀礼の撮影に着手、日本各地を取材するようになる。
1955年奄美(あまみ)大島への学術調査チームに参加(以後も継続して同地を訪れ、祭祀(さいし)・儀礼や島民の生活を記録撮影する)。また『綜合日本民俗語彙(ごい)』(1955~1956)に多数の掲載写真を提供。1959年東北地方から奄美大島までの日本各地の七つの稲作儀礼の記録を収めた写真集『田の神』を刊行。同書において芳賀は、周到な取材とコンテに基づき儀礼過程を撮影し、時間の流れに沿った組写真として見せてゆく方法論をとり、民俗学的アプローチによるドキュメンタリー写真の新たなあり方を示した。
1963年以降、取材対象をアジアやヨーロッパなどの海外にも広げながら、各地のさまざまな祭や民俗行事、民俗芸能を精力的に撮影。1970年に大阪で開催された日本万国博覧会ではお祭り広場のプロデューサーを務め、イベント「世界の祭り・日本の祭り」を企画・制作した。1973年郷土芸能の保存振興を目的とする「全日本郷土芸能協会」設立に参加。1985年それまでに撮影してきた日本や海外各地の祭、民俗行事の膨大な写真コレクションを整理し、貸し出し提供するため、芳賀ライブラリー(東京)を設立。1995年(平成7)勲四等旭日小綬章(きょくじつしょうじゅしょう)受章。1997年日本写真協会功労賞受賞。
[大日方欣一]
『『田の神――日本の稲作儀礼』(1959・平凡社)』▽『『神さまたちの季節』(1964・角川書店)』▽『『神の子神の民』(1964・天声社)』▽『『カラーブックス 日本の祭』(1965・保育社)』▽『『世界の祭り』(1971・ポプラ社)』▽『『花祭り』(1977・国書刊行会)』▽『『世界の祭り&衣装』(1983・グラフィック社)』▽『『日本の祭り歳時記』(1991・講談社)』▽『『祝祭――世界の祭り・民族・文化』(1991・クレオ)』▽『『日本の民俗』上下(1997・クレオ)』▽『柳田国男監修・民俗学研究所編『綜合日本民俗語彙』1~5(1955~1956)』▽『九学会連合奄美大島共同調査委員会編『奄美 自然と文化』(1959・日本学術振興会)』▽『「日本人の生と死のリズム」(カタログ。1995・慶応義塾大学アート・センター)』