日本大百科全書(ニッポニカ) 「稲作儀礼」の意味・わかりやすい解説
稲作儀礼
いなさくぎれい
稲作の生産過程の折り目ごとに営まれる呪術(じゅじゅつ)、信仰的儀礼をいう。日本の農耕の中心は水稲栽培であるが、その儀礼は予祝、播種(はしゅ)、田植、推移、収穫の5段階に分けて考えられる。予祝儀礼は、実際の稲作開始に先だち、年頭にあたって豊饒(ほうじょう)を祈る儀礼をいい、「鍬(くわ)始め」「農立て」などとよんで、形式的に田を耕し、餅(もち)や焼き米を供えて豊饒を祈念する祝言(しゅうげん)を唱えたり、松葉を苗に見立てて田に挿したりする。とくに小正月には、餅花づくり、庭田植、お田植祭、鳥追いなど、多くの予祝儀礼が結び付いている。播種儀礼としては、種籾(たねもみ)を苗代に播(ま)いたあとの水口(みなくち)祭、苗代田の真ん中に田の神の依代(よりしろ)として斎串(いぐし)を立てる苗印(なえじるし)の儀礼がある。田植儀礼としては、田の神の降臨を求める儀礼が目だつ。中国地方山間部に伝えられる大田植、花田植は、田植が神事であったことをよく示している。田植の終了を感謝し、田の神を送るものとしては、「さのぼり」あるいは「代(しろ)みて」とよばれる儀礼がある。推移儀礼は、稲の成長過程に予測される災害を防ぐためのもので、虫送り、雨乞(あまご)い、風祭(かざまつり)などがある。収穫儀礼は3段階に分かれており、(1)穂掛けの儀礼、(2)刈り上げの儀礼に続いて、(3)稲扱(いねこ)きが済んでの扱き上げ祝い、脱穀が済んでの庭上げ祝いによって、収穫儀礼が終了する。
以上指摘した稲作儀礼の諸要素は、日本本土内においても地域差が認められ、予祝儀礼としての庭田植は東北地方に、田植儀礼としての大田植、花田植は西南日本に、顕著な分布を示している。沖縄の稲作儀礼では、播種と収穫に重点が置かれ、田植儀礼は未発達である。また、本土では稲作儀礼の担い手が主として家族単位であるのに対して、沖縄では「門中(もんじゅう)」単位である点が注意をひく。さらに、日本を含めて東南アジア島嶼(とうしょ)地帯の稲作民の間には、母稲とか夫婦稲という観念が広く分布しており、穀母が穀童を産み育ててゆくとの信仰、さらにその根底には死と復活のモチーフの存在が注目される。
[直江広治]
『伊藤幹治著『稲作儀礼の研究』(1974・而立書房)』▽『宇野円空著『マライシアに於ける稲米儀礼』(1944・日光書院)』