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草間彌生 くさま やよい

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

草間彌生 くさま-やよい

1929- 昭和後期-平成時代の美術家。
昭和4年3月22日生まれ。昭和32年渡米。アート・スチューデンツ-リーグにまなぶ。ポップアートや環境・前衛芸術の世界でニューヨークを拠点に活躍。48年帰国後小説も手がけ,58年「クリストファー男娼窟」で野性時代新人文学賞。平成12年「草間弥生ニューヨーク/東京」展で芸術選奨。15年フランス芸術文化勲章オフィシエ受章。18年高松宮殿下記念世界文化賞。21年文化功労者。26年安吾賞。長野県出身。京都市立美術工芸学校卒。作品に「最後の晩餐」「無限の網」,著作に「I LIKE MYSELF―わたし大好き」など。

出典|講談社
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知恵蔵の解説

草間彌生

日本の前衛芸術家。1929年、長野県松本市生まれ。水玉や網模様をモチーフにした作品で世界的に知られ、絵画や立体作品、インスタレーション(展示空間全体で表現する芸術)、小説、詩、ファッションデザインなど幅広い分野で活躍している。頭の中に浮かんだ幾何学的な模様を、モノクロームまたは色鮮やかな模様の連なりとして表現する独特の作風や大胆な世界は高く評価され、ディズニーやアウディ、ルイ・ヴィトンなど有名ブランドとのコラボレーション作品も多い。真っ赤な口紅に真っ赤なかつら水玉模様の服を好む。受賞歴は多数で、2006年に高松宮殿下記念世界文化賞(絵画部門)を受賞、09年には文化功労者に選ばれた。
ニューヨークでの個展のほか、南米やアジアなど世界中で作品展を開催。英国の美術専門紙「ザ・アート・ニュースペーパー」は14年、全世界の美術館における展覧会動員数1位を達成したとして、草間を同年の「世界で最も人気なアーティスト」と発表した。16年4月には、米国の雑誌「TIME」の企画「世界で最も影響力のある100人」に選ばれた。
種苗業を営む旧家に生まれた。幼少期から周囲に水玉や網目が見える幻視や、スミレカボチャが語りかけてくる幻聴に悩まされ、それらに対する恐怖や驚きをしずめる手段として、水玉など見たものを描き始めた。京都市立美術工芸学校(現・京都市立銅駝美術工芸高校)を卒業後、地元の個展などで作品を発表していたが、画家になることを反対する母親や周囲との人間関係に悩み、1957年、単身で渡米。美術学校で学び、巨大な平面作品や、鏡や電飾を用いた環境彫刻などを発表する。59年、ニューヨークで開いた個展で発表した「無限の網」が米紙ニューヨーク・タイムズや美術雑誌で取り上げられ、高く評価されたことで有名となった。61年頃からは、布やビニールといった柔らかい素材を使った立体作品を手掛ける。米国の永住権を取得し、60年代後半にはボディーペインティングやベトナム戦争への反対の意を込めたパフォーマンスなどを行い、73年に帰国した。
帰国後は、芸術作品の制作に励むかたわら、多くの小説や詩集を発表した。83年、『クリストファー男娼窟』で第10回野性時代新人文学賞を受賞した。近年は、顔の輪郭や微生物のようなモチーフを細かく連ねた作品を発表している。13年には、テレビチャリティー番組「24時間テレビ 愛は地球を救う」(日本テレビ系列)で男性アイドルグループ「嵐」のリーダー、大野智とチャリティーTシャツデザインし、話題となった。
80歳を過ぎてもなお創作への意欲は衰えず、食事の時間も惜しんで作品制作に没頭する。「自分の作品が一番好き」と語り、「倒れるまで、死にものぐるいで絵を描く」と精力的に作品制作を続けている。

(南 文枝 ライター/2016年)

出典|(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

草間彌生
くさまやよい
(1929― )

美術家。長野県生まれ。県立松本第一高等女学校在学中から絵を描き始める。女学校入学のころから物体の回りにオーラが見え、動植物の会話が聞こえるという幻覚体験が始まり、それを絵画として制作する。1948年(昭和23)に京都市立美術高等学校に編入し、翌年卒業。50年に日本画作品『猫』が長野県美術展に入選して以後、水彩、グワッシュ、油彩などを使用して発表を開始した。すでにこのころから作品には、粒子状の点の連なりや、細胞や神経が網目状に拡張していくイメージが現れ、その後の草間の表現の核が見いだせる。50年代初期の作品の、シュルレアリスティックな自動デッサンと抽象画が合体したような作風に、微細な線による無限連鎖の網目図像の全面化が少しずつ加わる。草間は、その幻覚をカンバスに微細に描き込んだり、突起物のついたオブジェや鏡に覆われた部屋を利用するインスタレーションに結びつけていった。
 55年に、滝口修造による企画・選定の個展(タケミヤ画廊、東京)が催され、また同年の国際水彩画ビエンナーレ(ブルックリン美術館、ニューヨーク)に出品。57年にアメリカでの初個展を開催(ズウ・ドゥザンヌ画廊、シアトル)。個展終了後ニューヨークに移動し、美術学校アート・スチューデンツ・リーグやブルックリン美術学校などに学ぶ。このころ、網目無限反復の画像をモノクロームで描くようになり、その成果は、59年のニューヨークでの初個展「オブセッショナル・モノクローム」(ブラタ・ギャラリー)で披露され、大きな反響を呼ぶ。61年にはソフト・スカルプチャー(布やビニールなど柔らかい素材を使った立体作品)に手を染め、62年のグループ展ではアンディ・ウォーホルやクレス・オルデンバーグ、ジョージ・シーガルらとともに作品を発表した。63年、アメリカ合衆国の永住権を取得。65年ごろにハプニングを始め、個展・グループ展をさかんに行う。66年ベネチア・ビエンナーレに参加し、1500個のミラーボール敷き詰めた『ナルシスの庭』を出品。ベトナム戦争が激化した60年代末は、反戦を訴える裸体のハプニングをニューヨークなどで何度か行い、警察に拘束されたりした。73年日本に帰国し、国内外の展覧会に多数参加する。
 回顧展が北九州市立美術館(1987)、国際美術センター(1989、ニューヨーク)、草月美術館(1992、東京)、東京都現代美術館、ロサンゼルス・カウンティ美術館(ともに1999)で開催された。著書には自伝小説『マンハッタン自殺未遂常習犯』(1978)、『聖マルクス教会炎上』(1985)、『ウッドストック陰茎斬り』(1988)、『クリストファー男娼窟』(1989)などがある。[高島直之]
『『聖マルクス教会炎上』(1985・Parco出版局) ▽『ウッドストック陰茎斬り』(1988・ペヨトル工房) ▽『クリストファー男娼窟』(1989・而立書房) ▽『マンハッタン自殺未遂常習犯』(角川文庫)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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