日本歴史地名大系 「荘厳寺跡」の解説 荘厳寺跡しようごんじあと 鹿児島県:日置郡伊集院町猪鹿倉村荘厳寺跡[現在地名]伊集院町猪鹿倉長松(ちようまつ)川右岸台地上にあった。応永年間(一三九四―一四二八)創建とされ、大勝山聖御院と称した。開山は良範。良範は一吽の弟子となり山城醍醐寺三宝(さんぽう)院の法流(真言宗小野派)を学んで猪鹿倉(いがくら)に帰郷し当寺を建立したという。坊津(ぼうのつ)(現坊津町)一乗(いちじよう)院、鹿児島城下の大興(だいこう)寺とともに三州密門三本寺の一(三国名勝図会)。永正七年(一五一〇)一〇月二九日の竜厳寺・荘厳寺・大興寺門徒契約状(旧記雑録)によれば、竜厳寺・大興寺開山はともに当寺開山良範の法流弟子なので、末代まで三ヵ寺は一味門徒として門中法度を守ること、伊集院衆徒は当寺を本山と仰ぎ、伝法灌頂等は当寺を会場とすることなどが契約されている。 荘厳寺跡しようごんじあと 宮城県:古川市小林村荘厳寺跡[現在地名]古川市小林 杉ノ下江合(えあい)川左岸、北小林(きたおばやし)にあったが、しばしばの火災で荒廃し、今は二間四面の虚空蔵堂だけが残る。「封内風土記」によれば、真言宗、虚空山と号し、本尊は虚空蔵。伝説では、藤原秀衡の時代、都から来た名僧が天台宗虚空山福満寺を建てたという。中世には大崎氏の崇敬厚く、大崎氏滅亡後の葛西大崎一揆の鎮定にあたった伊達政宗は、当寺に馬一〇〇頭の供出を命じた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by