改訂新版 世界大百科事典 「広州コミューン」の意味・わかりやすい解説
広州コミューン (こうしゅうコミューン)
1927年12月に中国共産党が広州でおこした武装暴動。政権を一時掌握したので広州公社Canton Communeともいう。パリ・コミューンにちなんだ名称である。国共合作崩壊後,瞿秋白(くしゆうはく)を中心とする中共指導部が,大衆的基盤をもつ広州でおこしたもので,秋収蜂起等の極左路線の一環である。葉挺らの指導のもとに,12月11日早朝,2000余の武装労働者の隊伍が広州全市を制圧してソビエト政府を樹立した。主席には香港海員スト(省港ストライキ)以来の輝ける指導者蘇兆徴が選ばれ(在モスクワ),実質的に計画をすすめた中共広東省委責任者の張太雷(1898-1927)が代行した。〈すべての権力をソビエトへ〉〈反革命の国民党打倒〉〈大工業・銀行等の国有〉〈土地国有〉等の綱領をかかげて3日間もちこたえたが,列強に支援されて体勢をたてなおした張発奎らの国民党軍に市民をふくめて数千名の犠牲をだして敗北した。一部は彭湃(ほうはい)の海陸豊蘇維埃(ソビエト)等へのがれ,農村での革命をおしすすめた。
執筆者:狭間 直樹
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報