蔡國強(読み)さいこっきょう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「蔡國強」の意味・わかりやすい解説

蔡國強
さいこっきょう / ツァイグオチャン
(1955― )

中国生まれの美術家。福建省泉州市生まれ。文人画を描く画家だった父の影響で子供のころから美術を志す一方で、少年期に文化大革命を体験し、暴力をモチーフとした芸術にも強い関心を持つ。1981~1985年、上海演劇大学美術学部に在籍。舞台美術を中心に、社会主義リアリズムを基調とする中国流の美術教育を受けるが、古来山水画洞窟画に対しても強い関心を持つ。中国国内での活動に限界を感じて大学卒業後の1986年(昭和61)に来日、以来筑波大学の河口龍夫研究室に在籍したり、来日して身を立てた外国人アーティストの先達である李禹煥(リウファン)やクリストの梱包作品などに大きな影響を受けながら、現代美術の可能性を模索する。

 1989年(平成1)、蔡は東京都福生(ふっさ)市で開催された野外美術展で「プロジェクト・フォー・ET No.1――人類の家」を公開した。これは、河川敷に仮設したパオ遊牧民テント)のなかに火薬を仕込み、炎上させるもので、来日後の蔡が初めて手がけた大規模なプロジェクトであると同時に、その後の展開をも予見させるものであった。蔡はこのプロジェクト以前にも火薬画(火薬を発火させ、燃焼の痕跡を映し取る絵画)を制作するなど火薬という媒質を用いていたが、それは祝い事のたびに爆竹を破裂させる中国華南地方の風習によって火薬になじみがあるうえ、爆発に伴うカタルシスにも強い関心があるためであった。同作は高く評価され、蔡は翌1990年に南仏、エクサン・プロバンス郊外の「中国の明日」展に招聘され、ここでも同種のプロジェクトである「プロジェクト・フォー・ET No.3」を実施した。

 さらには1992年のドクメンタ9(ドイツ、カッセル)では軍事基地で花火を使用した大規模な作品『胎動9』を発表し、また1993年には「万里長城を1万メートル延長するプロジェクト」によって、火薬の爆破により光と炎を発生させるスペクタクルの演出という蔡の技法は、国際的に広く知られることとなった。派手に火薬の燃え上がる様子はしばしば龍にたとえられるが、蔡の作品の多くは人里離れた原野か僻地でのアースワークとして展開されており、蔡の本質的な関心はスペクタクルの演出以上に会場であり、作品の容器でもある自然や環境との対話の方にある。また日本滞在中の1989年、北京で開催された「中国現代美術」展参加のために一時帰国した際には日本の現代美術の状況をレクチャーするなど、日中美術交流にも大いに貢献している。

 1995年、ベネチア・ビエンナーレ内の「トランス・カルチャー」展でベネッセ賞を受賞、また同年ACC(Asian Cultual Council)の奨学金によってニューヨークへの滞在を認められたのを機に拠点を移す。その後日米欧をまたにかけて作品発表を行っており、ジャグジー風呂を用いたインスタレーション『文化大混浴』(1998。直島(なおしま)コンテンポラリーアートミュージアム、香川県)や茶室を利用したインスタレーション『蔡國強の茶室』(2002。彫刻の森美術館、神奈川県)を発表するなど、爆破スペクタクル以外にも作品の幅を広げている。1999年には、インスタレーション作品『ベネチア収租院』によって、ベネチア・ビエンナーレ国際大賞を受賞した。2007年には第7回ヒロシマ賞を受賞、その作品は国際マーケットでも高く評価されている。

[暮沢剛巳]

『「特集蔡國強」(『美術手帖』1999年3月号・美術出版社)』『「蔡國強の茶室――岡倉天心へのオマージュ」(カタログ。2002・彫刻の森美術館)』

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