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天皇の常御殿の清涼(せいりょう)殿に昇殿を許された人。狭義にはそのうち親王・公卿(くぎょう)・受領(ずりょう)などを除き、同殿の「殿上の間(ま)」の簡(ふだ)に名を付され、天皇側近の用事や宿直を勤める四位・五位・六位(蔵人頭(くろうどのとう)や蔵人を含む)をいう。雲客(うんかく)などともいい、特権身分であるが、天皇に近侍する性格上、代替わりには入れ替えが行われる。また官位の昇進に伴い殿上を去る慣例もあり、その際引き続き昇殿を許されるのを還昇(げんしょう)という。過失により昇殿を止められる場合もある。員数は『西宮記(さいぐうき)』(巻10・殿上人事)によれば30人前後であるが、後世は増加した。貴族の年少者を昇殿させる童殿上(わらわてんじょう)の制もあった。近世では堂上(とうしょう)と称した。なお院・東宮の殿上人もある。
[黒板伸夫]
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雲客(うんかく)とも。四・五位のなかから選ばれ,清涼殿南庇の殿上の間に伺候することが許された天皇の側近。公卿の予備軍。日給簡(にっきゅうのふだ)に姓名が記され,天皇の代替りごとに選び直された。宮中で行われる儀式・行事に参列するほか,通常は蔵人頭(くろうどのとう)の指揮下,陪膳や宿直(とのい)に交替であたった。このような制度に整備されたのは10世紀以降のことであるが,殿上人自体は蔵人所の設置と前後しておかれ,正史には近臣という名称でみえる。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…平安時代も中・末期になると,有位者の増大などによって位階の社会的評価も相対的に低下し,昇殿の制が新しい身分制として重んぜられるようになった。昇殿を許された四位・五位の廷臣は,殿上人とか雲客と呼ばれ,昇殿を許されない地下(じげ)の官人との較差を広げる一方,公卿の見習的な存在となり,近世では公卿も含めて堂上(とうしよう)と呼ばれ,公家貴族の総称となった。第4は皇親貴族の出現である。…
…律令制のもとでは,為政者は三位以上の〈貴〉と四,五位の〈通貴〉にわけられ,地方の豪族や名望家はその下位に位置づけられていた。平安後期武士や寺社の勢力が強大になると,朝廷(おおやけ)の政治を担当する身分つまり朝臣が公家と呼ばれるようになり,なかでもその最高の地位たる大臣,納言,参議を公卿(くぎよう)(総じて三位以上を上達部(かんだちめ)という),四,五位の昇殿を許された者を殿上人(てんじようびと)といい,それ以下の地下人(じげにん)と区別した。 しかし鎌倉時代以後,武士を統率する幕府が成立してその長(征夷大将軍)を〈武家〉と呼ぶようになり,公家はこの武家や寺家・社家と相対する語に用いられた。…
※「殿上人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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