江戸末期,鹿児島でつくられたカット・グラス。薩摩藩主島津斉興は1846年(弘化3)製薬を始めたが,それにはガラス器が必要であるとして江戸からガラス工四本(しもと)亀次郎を招いた。51年(嘉永4)28代藩主斉彬が城内で紅ガラスの製法を研究させ,数百回の実験の後,ついに銅による紅ガラスの製造に成功した。また青,紫,黄など各色のガラスで器物をつくり好評を博した。56年(安政3)ガラス製造所は市外の磯に移り,拡張され,カット・グラス用のクリスタルガラスのみならず,板ガラスの製造にも成功した。しかし63年(文久3)の薩英戦争で工場が焼失し,またその前に斉彬が急死したため,ガラス製造は中止されるに至った。現在磯にある尚古集成館に所蔵されている薩摩切子の確実なものは,紅色皿,碗,藍色の碗,コップ,瓶,紫色の瓶など二十数点で,そのほか無色透明のガラス板(約25cm×31cm,厚さ2cm),凸レンズ状の半球などがある。薩摩藩の記録によれば金による紅ガラス(金赤(きんあか)ガラス)もつくられたとされているが,現存している紅ガラスはすべて銅赤ガラスである。1975年の調査によれば,薩摩切子は比重3.6,酸化鉛の含有量約45%に相当する鉛ガラスである。
切子とはカット・グラスを意味し,薩摩切子のほかに江戸切子もあるが,後者は無色のカット・グラスで,江戸の加賀屋の天保年間(1830-44)の引札(ひきふだ)(カタログ)には皿,蓋物,鉢などの食器のほか,切子でない金魚鉢,瓶などのガラス器も描かれている。なお,ビードロはポルトガル語vidroの,ギヤマンはダイヤモンドを意味するジアマントdiamantの,なまりである。
→ガラス
執筆者:山崎 一雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
江戸時代のガラス器の一種。切子とはカットの意。1846年(弘化3)秋、薩摩(鹿児島県)の藩主島津斉興(なりおき)が、製薬のためにガラス器、ガラス瓶などの製造を必要とし、江戸からガラス職人、四本(しもと)亀次郎を招いて工場を開いたのに始まる。島津斉彬(なりあきら)の代になって藩の生産振興のために集成館が建てられ、西欧の技術をもとに諸工業の近代化が進められたが、その一環としてヨーロッパのガラス製法が導入され、薩摩切子が生まれた。ガラスは鉛ガラスで、銅赤ガラスの場合、比重は3.5前後。透明なガラス層に、赤紅色あるいは青、紫などのガラスをかぶせ、表層からカットして模様を表す場合が多い。製品は、皿、鉢、碗(わん)、杯、瓶などで、藩主をはじめとする上流階級の需要にこたえる一方、諸国の藩への贈答品として使われ、諸藩からの注文も増加した。薩英戦争(1863)の際に集成館が被災し、また斉彬が早逝したために短命に終わったが、その芸術性は高く評価されている。
[友部 直]
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「カットガラス」のページをご覧ください。
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※「薩摩切子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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