藤生村
とうにゆうむら
[現在地名]田島町藤生
永田・中荒井・川島・関本各村の西、荒海川西岸の段丘と山地に立地。富貴沢が東流して荒海川に合流する。本村は富貴沢沿いに、端村上野・上小塩・下小塩は荒海川沿いの段丘上にある。大蘆村(現昭和村)から転石峠越で大豆渡村を経て、入小屋村(現南郷町)から駒止峠越で小檜峠に至り、ここから下野街道糸沢宿へ至る道が通る。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録に「藤生小塩」とみえ、高二二六石余。南山御蔵入領川島組に属する。寛文六年(一六六六)の「会津風土記」では関本郷のうち。
藤生村
ふじゆうむら
[現在地名]岩国市
藤生町三―五丁目の全域と同一―二丁目の
大部分、および
南岩国町五丁目・
海土路町二丁目・
灘町の各一部
海土路村の南、黒磯村の北に位置し、西は六呂師村、東は瀬戸内海に面する。寛永二〇年(一六四三)に岩国庄を分割してできた小村の一で、慶安四年(一六五一)の「御領分村一紙」に村名がみえる。
村名由来については「玖珂郡志」に「五郎丸ノ麓、長者ヤシキニ、往古、藤有由」とあるばかり。
藤生村
ふじゆうむら
[現在地名]作東町藤生
南海村の南東、吉野川右岸に立地。対岸は川崎村。正保郷帳に村名がみえ、田五六石余・畑二六石。元禄一〇年(一六九七)の美作国郡村高辻帳では改出高一七石余・開高四石余、村位は中。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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