西の内紙(読み)ニシノウチガミ

デジタル大辞泉 「西の内紙」の意味・読み・例文・類語

にしのうち‐がみ【西の内紙】

質はやや粗いが、非常にじょうぶな、生漉きずこうぞ。もと茨城県常陸大宮市西野内で産し、明治時代選挙投票用紙印鑑証明用紙に指定され、全国的に有名になった。

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改訂新版 世界大百科事典 「西の内紙」の意味・わかりやすい解説

西の内紙 (にしのうちがみ)

茨城県常陸大宮市の旧山方町で漉(す)かれている強靱(きようじん)な楮紙(こうぞがみ)。紙名は,この町で紙を漉くとともにその集散地となっていた旧山方町大字西野内に由来する。佐竹氏が支配していた中世からすでに製紙が盛んであったが,江戸時代になって水戸藩領地となってからは徹底した紙専売制が行われたため製紙業はさらに発展した。《日本山海名物図会》(1754)には,日本の代表的な5紙として越前奉書,美濃の直紙(なおしがみ),岩国半紙とともに関東の西の内紙と程村紙(ほどむらがみ)があげられている。程村紙は栃木県那須烏山市の旧烏山町で漉かれる楮紙で,両地方で漉き出された紙は40種以上になるが,西の内紙は別格に高く評価され,他の紙を那須紙,水戸物と称して区別するほどであった。これらの地方が共通の製紙圏となっているのは,全国でも優秀なことで知られる那須コウゾがともに栽培されていたからである。那須コウゾの繊維はやや短いが,柔軟で暖かみのある紙肌をつくる。そのため西の内紙,程村紙以外に,越前奉書や本美濃紙などにも利用されている。1901年衆議院議員選挙用紙に西の内紙と程村紙が指定されたのが機縁となって,全国的に知られるようになった。1977年両紙とも国の記録作成等の措置を講ずべき無形文化財に選定された。西の内紙はかさ紙やちょうちん紙などに用いられていたが,現在は日本画用紙,凧紙,表具紙など,強靱性をかわれて用途は多方面にわたっている。西の内紙よりもやや厚くて緻密な紙肌の程村紙は,免状用紙,版画用紙,記録用紙,和本用紙などに用いられている。
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百科事典マイペディア 「西の内紙」の意味・わかりやすい解説

西の内紙【にしのうちがみ】

西の内とも。コウゾ原料とする厚い手すき和紙。茨城県山方町(現・常陸大宮市)西野内で作られたのでこの名がある。現在も少量ながら産し,用途はその強靭(きょうじん)性をかわれて工芸用,記録用,傘(かさ)紙用など多方面にわたる。1977年,栃木県烏山町(現・那須烏山市)の程村紙とともに,国の無形文化財の指定を受けた。
→関連項目千代紙

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デジタル大辞泉プラス 「西の内紙」の解説

西ノ内紙

茨城県常陸大宮市の山方地区で生産される和紙。原料はナスコウゾ100%。虫がつきにくく丈夫で、水戸藩の保護・奨励により発展。明治期には選挙用紙にも指定された。「西ノ内和紙」とも。

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世界大百科事典(旧版)内の西の内紙の言及

【山方[町]】より

…茨城県北部,那珂郡の町。人口8536(1995)。久慈川中流域にあり,周辺は男体山(654m)につづく山地や鷲子(とりのこ)山塊などに囲まれる。久慈川沿いにJR水郡線,国道118号線が通じている。中心集落山方は近世には水戸と郡山を結ぶ街道の宿場町として,また久慈川舟運の要地として発達した。江戸時代からの伝統をもつコンニャクと西之内紙といわれる手すき和紙の特産がある。1960年代以降人口流出が進み,70年には過疎地域の指定を受けた。…

※「西の内紙」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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