日本歴史地名大系 「西下村」の解説 西下村にししもむら 兵庫県:神戸市北区西下村[現在地名]北区淡河町勝雄(おうごちようかつお)美嚢(みなぎ)郡に属する。志染(しじみ)川支流の淡河川下流域に位置し、西は小戸田(ことだ)村(現三木市)、南は丹生帝釈(たんじようたいしやく)山系を挟んで摂津国八部(やたべ)郡。有馬(ありま)街道が通る。中世は東下村とともに下村に含まれた。観応元年(一三五〇)一二月五日の足利尊氏袖判下文案(森川文書)に播磨国淡河庄内「下村」とみえる。勝雄地区の山頂の尾根から享禄三年(一五三〇)に播州の良円が法華経八巻を納めた経塚が出土した。 西下村にししもむら 兵庫県:神戸市北区西下村[現在地名]北区山田町西下(やまだちようにししも)坂本(さかもと)村の南、志染(しじみ)川の対岸にあり、背後に山地を含む河岸段丘に立地。中世八部(やたべ)郡山田庄下村の一部で、近世には丹生山田(たんじようやまだ)庄一三ヵ村の一。慶長国絵図には下村高五三三石余とみえ、いまだ東西に分村しておらず、正保郷帳に西下村高一四九石余とある。分村の時期は寛永―正保(一六二四―四八)の間とみられるが特定できる史料がない。領主の変遷は衝原(つくはら)村に同じ。元禄一六年(一七〇三)の家数一八(「山田十三ヶ村在家之覚」山田郷土誌)。明治前期の西下村誌(八部郡地誌)によると戸数二八・人口一〇一、牛一〇、溜池・沼が大小九一ある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by