西徳寺(読み)さいとくじ

日本歴史地名大系 「西徳寺」の解説

西徳寺
さいとくじ

[現在地名]黒部市三日市

三日市みつかいちにあり、桜枝山と号し、浄土宗本尊阿弥陀如来。貞享二年寺社由緒書上には「一、当寺開闢者、永海上人ニ而御座候、年号知レ不申候」とある。現北野きたのに永かい塚と称される石龕があり、西徳寺開山永海の供養塚あるいは埋墓とされ、南北朝期以前の作である。また文字は違うが同じくエイカイ(栄海)を祖とする同系列の魚津市西願さいがん寺がある。当寺は前掲由緒書上においては簡略だが、開創時期が石龕成立以前であり、その永海が西願寺の栄海と同一人物であることは疑いない。次に滋賀県信楽しがらき町真言宗玉桂ぎよくけい寺所蔵の建暦二年(一二一二)一二月二四日に造立された阿弥陀如来立像の胎内から発見された「越中国百万遍勤修人名」には、四千名余の越中関係者の署名がみられ、そのうちに永海の名がある。


西徳寺
さいとくじ

[現在地名]直方市山部

山部やまべ地区の北部にある。浄土真宗本願寺派に属し、覚音山と号する。本尊は阿弥陀如来。開基の是照は、もと小早川秀秋の家臣俗名を篠田次郎兵衛重英といい、知行地であった由緒から致仕後当地に来て出家し、当寺を開いて慶長三年(一五九八)に没したという。寛永五年(一六二八)に木仏・寺号を許された(続風土記拾遺)山門はもと東蓮寺藩(直方藩)の御館(藩主居館)の横門であったといい、薬医門形式の切妻造本瓦葺。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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