西晋一郎
にししんいちろう
(1873―1943)
倫理学者。鳥取県に生まれる。東京帝国大学を卒業後、1902年(明治35)広島高等師範学校教授。のちに広島文理科大学教授をも兼ねた。かたわら国民精神文化研究所所員、教学刷新評議会委員、内務省神社局参与などを務めた。その立場は、主著の『倫理学の根本問題』(1923)などにみられる「純粋意識」「主客未分」「主客合一」といった用語に明らかなように、初期西田哲学の影響を示している。西田幾多郎(にしだきたろう)との直接の交友はないが、西田の親友堀維孝(ほりこれたか)(1868―1954)が同僚であった。しかし、そうした方向はその後深められることなく、しだいに、儒教の忠孝倫理をカントやヘーゲルの哲学によって根拠づけるという折衷主義に移っていった。最後は、『国民道徳講話』(1932)にみられるような、国体論にのっとった国民道徳の普及と、『尊徳・梅岩』(1938)、『東洋道徳研究』(1940)などにみられるような、儒教思想の研究へと移っていった。
[渡辺和靖 2016年9月16日]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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西 晋一郎
ニシ シンイチロウ
明治〜昭和期の倫理学者 広島文理科大学名誉教授。
- 生年
- 明治6年3月29日(1873年)
- 没年
- 昭和18(1943)年11月13日
- 出生地
- 鳥取市
- 学歴〔年〕
- 東京帝大哲学科〔明治32年〕卒
- 学位〔年〕
- 文学博士
- 経歴
- 明治35年広島高等師範学校教授、昭和4年広島文理科大学教授。在職38年、退職後名誉教授。西欧道徳と東洋道徳の折衷を考えた倫理学者で、著書に「倫理学の根本問題」「実践哲学概論」「東洋倫理」「国民道徳講話」「忠孝論」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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西晋一郎
にししんいちろう
[生]1873. 鳥取
[没]1943
倫理学者。東京大学哲学科を卒業後,広島高等師範学校,広島文理科大学教授として倫理学を講じるかたわら,国民精神文化研究所や教学刷新評議会などにおいて,教学論,国体論の立場から国民道徳としての倫理学の研究,普及に努めた。西洋哲学,倫理学とともに儒教,仏教,心学,神道などを研究し独自な道徳哲学の体系を築いた。著書には『倫理学の根本問題』 (1923) ,『忠孝論』 (31) ,『東洋倫理』 (34) ,『藤樹学講話』 (41) などがある。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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西晋一郎 にし-しんいちろう
1873-1943 明治-昭和時代前期の倫理学者。
明治6年3月29日生まれ。35年広島高師教授,昭和4年広島文理大教授。はじめ西洋哲学を研究したが,しだいに東洋道徳と西洋道徳の折衷主義に移行していった。西順蔵の父。昭和18年11月13日死去。71歳。鳥取県出身。東京帝大卒。著作に「倫理学の根本問題」「東洋倫理」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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西 晋一郎 (にし しんいちろう)
生年月日:1873年3月29日
明治時代-昭和時代の倫理学者。広島文理科大学教授;文学博士
1943年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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