西河通徹(読み)ニシカワ ツウテツ

20世紀日本人名事典 「西河通徹」の解説

西河 通徹
ニシカワ ツウテツ

明治〜昭和期の新聞記者朝日新聞」京城特派員



生年
安政3年11月18日(1856年)

没年
昭和4(1929)年9月29日

出生地
伊予宇和島(愛媛県宇和島市)

別名
幼名=敬次郎,篤之助,直一,号=鬼城

経歴
伊予宇和島藩校明倫館教授を務めた西河謙一の息子。伊予の儒学者・上甲振洋に師事。のち上京し、慶応義塾に入って英学を学ぶとともに自由民権思想の影響を受けて新聞などへの投書をはじめた。明治9年「評論新聞」に入るが、8年の「朝野新聞」への投書のために投獄された。出獄後、10年「松山新報主筆皮切りに「信濃毎日新聞」「総房共立新聞」「自由新聞」「山形毎日新聞」「秋田日報」「絵入朝野新聞」「大阪公論」「秋田魁新報」など全国各地の新聞紙で主筆・局長・論説歴任。一貫して民権派の論客として活動し、民権論の興起と新聞界の発展に大きく寄与した。この間、松山中学校長や私塾戊子英語館を経営するなど教育界でも活動。その後も大同団結派の機関誌「政論」や大阪の「新浪華」などで健筆を揮い、28年には「朝日新聞」京城(現・ソウル)特派員に就任。以後、約10年に渡って日清戦争後における激動の朝鮮半島情勢を報道し続けた。39年引退。著書に「汽車之発明」「魯国虚無党事情」「鬼城自叙伝」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「西河通徹」の解説

西河通徹

没年:昭和4.9.29(1929)
生年:安政3.11.18(1856.12.15)
明治大正時代のジャーナリスト。号は鬼城。伊予(愛媛県)宇和島生まれ。父謙一は宇和島藩士。大阪慶応義塾で英学を学び,在学中から『朝野新聞』などに投書を繰り返した。明治9(1876)年,海老原穆の『評論新聞』に入ったのを振り出しに,10年愛媛県松山の『海南新聞』,13年『信濃毎日新報』,14年『総房共立新聞』,15年『自由新聞』など数多くの新聞で,記者,編集者を務めた。22年『大阪公論』に入り,民権派ジャーナリストとして,特に国会開設を要求する言論活動を展開した。28年から39年まで『朝日新聞』ソウル特派員として,閔妃殺害事件や第2次日韓協約締結などを報道した。<著作>西河謙吉編『鬼城自叙伝』<参考文献>門奈直樹『民衆ジャーナリズムの歴史

(井川充雄)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「西河通徹」の解説

西河通徹 にしかわ-つうてつ

1856-1929 明治時代の新聞記者。
安政3年11月18日生まれ。慶応義塾でまなぶ。自由民権を主張,「海南新聞」「信濃日報」「秋田魁(さきがけ)新報」などの記者や主筆をつとめた。明治28年「朝日新聞」漢城(現ソウル)通信員。昭和4年9月29日死去。74歳。伊予(いよ)(愛媛県)出身。号は鬼城。著作に「魯国(ろこく)虚無党事情」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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