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西笑承兌 さいしょうしょうたい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

西笑承兌
さいしょうしょうたい

[生]天文17(1548).京都
[没]慶長12(1607).12.17. 京都
安土桃山時代の臨済宗の僧。相国寺 92世。号は月浦,南陽。西笑は字。豊臣秀吉,さらに徳川家康に外交顧問として重用され,明,朝鮮との外交書の起草や,朱印船貿易における朱印状の作成などに尽力。文禄5 (1596) 年9月2日,明使の招来した明の国書を大坂城において読んだのが承兌で,そのなかの「封爾為日本国王」の言葉に秀吉が怒り,朝鮮再征の導火線となったことは有名。著書に『西笑和尚文集』『土偶集』そのほかがある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

西笑承兌 せいしょう-じょうたい

1548-1608* 織豊-江戸時代前期の僧。
天文(てんぶん)17年生まれ。臨済(りんざい)宗。中華承舜の法をつぐ。天正(てんしょう)12年京都相国(しょうこく)寺の住持,ついで鹿苑(ろくおん)院にはいり僧録となる。豊臣秀吉,徳川家康にもちいられ,寺社行政,外交にかかわる。相国寺中興の祖。慶長12年12月27日死去。60歳。山城(京都府)出身。号は月甫,南陽。著作に「異国来翰認」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

西笑承兌
さいしょうしょうたい
(1548―1607)

安土桃山から江戸初期の相国寺(しょうこくじ)の禅僧。「せいしょう」「じょうたい」ともいう。1584年(天正12)に相国寺に入寺し五山十刹(じっさつ)寺院を統轄する鹿苑僧録(ろくおんそうろく)につく。時の政権とのかかわりが深く、豊臣秀吉には対外交渉をもって仕え、対明(みん)国書等を管掌。文禄・慶長の役では、南禅寺の玄圃霊三(げんぽれいさん)らとともに肥前国名護屋(なごや)に赴き朝鮮在陣の諸将への檄文の作成などにかかわっている。関ヶ原の戦後は徳川家康に仕え、対外交渉に加え、畿内(きない)寺社のことも管掌するようになり、「日本寺奉行」と呼ばれるほど寺社からの訴訟には大きな影響力をもっていた。彼の残した『西笑和尚文案(さいしょうおしょうぶんあん)』はその点を知る一級の史料である。また『鹿苑日録』のなかに1566年(永禄9)・1589年(天正17)・1597年(慶長2)の承兌の日記『日用集』がある。[伊藤真昭]
『伊藤真昭著「慶長期における徳川家康と畿内寺社――『西笑和尚文案』の分析を通して」(『待兼山論叢28号』史学編) ▽伊藤真昭他編『相国寺蔵西笑和尚文案』(2007・思文閣出版)』

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