日本大百科全書(ニッポニカ) 「西部邁」の意味・わかりやすい解説
西部邁
にしべすすむ
(1939―2018)
評論家。北海道長万部(おしゃまんべ)生まれ。1958年(昭和33)東京大学に入学、1964年経済学部卒業後、同大学院経済学研究科修士課程修了。その後横浜国立大学助教授、東京大学助教授を経て同教授となったが、1988年中沢新一招聘の人事を巡って辞職する。のち秀明大学教授。1994年(平成6)より月刊誌『発言者』主宰。
東大在学中は東大自治会委員長、全学連中央執行委員として60年安保反対運動で指導的役割を果たす。この時期のできごとや、ともに60年安保を闘った全学連委員長唐牛(かろうじ)健太郎、共産主義者同盟(ブント)書記長島成郎(しげお)などの肖像については『60年安保 センチメンタル・ジャーニー』(1986)で詳細に描かれている。大学院進学後は新古典派経済学を専攻するが、やがて経済活動をより広い社会的行為との関係でとらえ直そうとする『ソシオ・エコノミックス』(1975)を発表して注目された。これは、旧来の経済学が前提としてきた「功利主義的個人」「合理的経済人」が抽象的な仮説であるとし、伝統的な価値や情動的な行為に内在する合理性に着目して社会経済学の構築を目指すものであった。吉野作造賞を受賞した『経済倫理学序説』(1983)では、ジョン・メイナード・ケインズ、ソースタイン・ベブレンの業績を解釈しつつ、平等と物質的幸福のみを普遍的な価値とする従来の経済学の発想に警鐘を鳴らしている。そして、経済学を含めた社会科学一般を、多様な文化的神話の一つとみなし、その神話解釈学をつくることが自分の目的だと述べている。また自分はエドマンド・バーク流の保守主義を採るとし、人間は知的、道徳的に不完全な存在であり、歴史に蓄積された慣習、規範を尊重することなしに社会的安定はありえない、とした。
1980年代以降は、保守派の論客として大衆批判、知識人の責務について論陣をはった。彼によれば知識人は、インテレクチュアル、インテリジェント、インテリゲンチャの三つに分けられる。また、大衆とは、懐疑する精神を失い功利主義と経済合理性というイデオロギーに押し流されていく人間のことである。その意味で専門知に閉じこもったインテリジェントや、自己の知識の政治的実践に固執するインテリゲンチャは大衆の典型にほかならない。一方、真の知識人であるところのインテレクチュアルは、一般通念から一定の距離をとりつつ、社会の解釈を繰り返すものである。伝統とはその解釈の積み重ねであり、知識人の役割は、より優れた解釈を次代に伝えることであると西部は主張した。サントリー学芸賞受賞のエッセイ集『生(き)まじめな戯れ』(1984)では、自分は、絶対的価値の薄明かりを思い浮かべながら、伝統的価値の破片を丹念にひろいあつめる、と述べられている。1990年代に入ると、マス・メディアでも積極的に発言するほか、「新しい歴史教科書をつくる会」(「現在の歴史教育のゆがみと教科書の不健全さをただす」として1997年に発足。歴史、公民の教科書を作成した)に参加して『国民の道徳』(2000)、『新しい公民教科書』(2001)の執筆を行うなど、国家意識の覚醒、道徳の回復を主題に旺盛な評論活動を続けた。
[倉数 茂 2018年2月16日]
『『ソシオ・エコノミックス』(1975・中央公論社)』▽『『大衆への反逆』(1983・文芸春秋)』▽『『60年安保 センチメンタル・ジャーニー』(1986・文芸春秋)』▽『『国柄の思想』(1997・徳間書店)』▽『『国民の道徳』(2000・産経新聞社)』▽『『新しい公民教科書』(2001・扶桑社)』▽『『経済倫理学序説』(中公文庫)』▽『『生まじめな戯れ――価値相対主義との闘い』(ちくま文庫)』