コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

覚明 かくめい

4件 の用語解説(覚明の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

覚明 かくめい

1718-1786 江戸時代中期の行者。
享保(きょうほう)3年3月3日生まれ。行商生活ののち,仏門にはいり真言密教を修行。天明5年木曾へいき,地元の信者をひきつれて御岳(おんたけ)にのぼり,従来重潔斎(けっさい)をした道者にのみゆるされていた御岳登山を開放。各地に御岳講が組織される契機をつくった。天明6年6月20日死去。69歳。尾張(おわり)(愛知県)出身。俗名は仁右衛門

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

覚明

生年:生没年不詳
平安末期・鎌倉初期の僧。「かくみょう」とも。本名信阿。信救とも。はじめ勧学院の進士であったが1140~50年代に出家して比叡山に登り,北陸修行ののちに南都の学侶となる。治承4(1180)年以仁王の変で園城寺への返牒を草すが,「清盛は平氏の糟糠,武家の塵芥」の表現が平清盛怒らせる。北陸に逃げて大夫房覚明名乗り,源義仲の右筆(書記)を務め,『平家物語』に願書,牒状を残す。義仲死後は信救得業と号し,建久1(1190)年ごろには鎌倉に,やがて箱根山に住み,仏事の導師や願文起草を行う。建久6年に素性が源頼朝に知られ,禁足処分を被る。元久2(1205)年には存命。『和漢朗詠集私注』(1163),『新楽府略意』(1172),『仏法伝来次第』,『筥根山縁起并序』などを著す。華麗な文才と遍歴は,『平家物語』生成に多くの文書資料,話材を与えたと考えられている。

(櫻井陽子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

かくみょう【覚明】

1156?‐1241?(保元1?‐仁治2?)
〈かくめい〉とも読む。平安末・鎌倉初期の怪僧で,木曾義仲の右筆として有名。大夫房を称し,西乗坊信救(しんぎゆう)ともいう。《平家物語》の所伝や自著《仏法伝来次第》跋の略歴によれば,もとは儒者で,勧学院の学生,蔵人通広といい,叡山黒谷で出家して信救と号す。北国に修行し南都に移る。以仁王挙兵の際に興福寺の返牒を代作し,〈清盛入道は平氏の糟糠,武家の塵芥〉と批判したため,清盛の怒りを買い,南都から亡命したという。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

覚明の関連キーワード栄西餓鬼草紙随兵鉈彫六家集極妙城南寺祭明珍悉曇学覚明房

今日のキーワード

大寒

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

続きを読む

コトバンク for iPhone

覚明の関連情報