ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
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鎌倉時代の仏教説話集。「させきしゅう」とも読む。10巻。無住(むじゅう)の著。1283年(弘安6)成立。説話を方便として読者を正しい仏教理解へ導こうとするもの。初稿本成立後も数次にわたって添削を加えているため、諸本により内容に若干の差があるが、おおむね、本地垂迹(ほんじすいじゃく)説話、諸仏霊験説話、因果応報説話、遁世(とんせい)往生説話など仏教説話集らしい説話を集めている。それらの間に、滑稽譚(こっけいたん)や艶笑譚(えんしょうたん)などが混在し、ときとして、著者の意図を超えておもしろくなりすぎたためか、添削を経てしだいに堅苦しい話中心の説話集へと変質していった趣(おもむき)がある。同時代の地方(とりわけ東国)の民衆の生活や心情を反映した世間話や、後世、噺本(はなしぼん)の源流のようにもみられた笑話を収録している点に、最大の意義と魅力があるといえる。
[小島孝之]
『渡辺綱也校注『日本古典文学大系85 沙石集』(1966・岩波書店)』
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…ことに東海・関東の地方には御師の勧誘により神領としての御厨(みくりや)・御薗(園)(みその)を寄進する豪族・武将が多かったが,なかで相馬御厨を寄進した源義宗の,〈これ大日本国は惣じて皇太神宮・豊受宮の御領たるの故なり〉という言葉は,よく信仰内容を物語っている。仏教との関係についても,もとは神宮が仏事関係を固く忌むとされたにもかかわらず,鎌倉時代には東大寺勧進職の重源,法相宗の貞慶,真言律宗の叡尊,時宗(じしゆう)の他阿など有力僧侶の参宮が相つぎ,真言宗の通海は,仏教への帰依が神宮崇敬と矛盾しないことを説き,禅密兼修の無住は《沙石集》において,〈外には仏法を憂き事にし,内には深く三宝を守り給ふ事にて御座(おわし)ます故に,我国の仏法偏(ひとえ)に太神宮の御守護によれり〉と述べている。室町時代になると足利義満・義持・義教など将軍自身の参宮が相つぎ,各地に伊勢講(神明講)の発達も見られて,一般民衆にまで参宮の風は広まった。…
…《古今集》の仮名序に,歌は天地(あめつち)を動かし,鬼神をもあわれと思わせる,とのべているのも,藤原俊成が住吉神社に参籠して,〈和歌仏道二なし〉という神示を得たと伝えられるのも,いずれも和歌における言霊の信仰のあらわれである。無住は《沙石集》において,和歌の徳を陀羅尼としてのべている。そのような考えは,江戸時代の契沖にうけつがれている。…
…1262年(弘長2)尾張の長母(ちようぼ)寺(名古屋市東区)に止住し,住職となって半世紀を送り,兼持した伊勢桑名の蓮華寺で没した。長母寺定住後は,寺院経営のかたわら,尾張・伊勢地方の教化と啓蒙的著述に専念したようで,59歳のときに成った《沙石集》10巻を第1作として,《聖財(しようざい)集》3巻,《妻鏡》1巻,《雑談(ぞうたん)集》10巻を編した。なかでも《沙石集》は説教体仏教説話集の典型として,世間話や笑話を駆使した巧みな講述は近世話芸の範とされ,その仏教的評論・随想に対する評価も近来とみに高まっている。…
※「沙石集」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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