親王将軍(読み)しんのうしょうぐん

改訂新版 世界大百科事典 「親王将軍」の意味・わかりやすい解説

親王将軍 (しんのうしょうぐん)

親王鎌倉幕府征夷大将軍に任命されたもの。皇族将軍宮将軍ともいう。1252年(建長4)執権北条時頼が将軍藤原頼嗣を廃して京都に追ったことによって摂家将軍は終わり,かわって後嵯峨上皇の皇子宗尊親王が最初の親王将軍として鎌倉に迎えられた。以後,宗尊親王の子惟康王(のち親王),後深草上皇の皇子久明親王,その子守邦王(のち親王)と,1333年(元弘3)の幕府滅亡まで4代続いたが,親王将軍の出現は得宗専制成立の一つの徴証であり,将軍の実権は摂家将軍時代にもまして弱体化し,北条得宗家が権勢を振るっていた。幕府滅亡の際に出家した守邦親王を除き,いずれも陰謀名目として北条氏に廃され,京都に追放されている。なお建武新政にあたって,護良親王,成良親王ら後醍醐天皇の皇子が征夷大将軍に任命されたのも,鎌倉幕府の親王将軍が一つの前提となっているのであり,これらも親王将軍に含めることができる。
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百科事典マイペディア 「親王将軍」の意味・わかりやすい解説

親王将軍【しんのうしょうぐん】

鎌倉幕府の征夷大将軍に任命された親王。皇族将軍,宮将軍ともいう。1252年摂家将軍が廃され,後嵯峨上皇の皇子宗尊(むねたか)親王が征夷大将軍に任じられた。以後,宗尊親王の子惟康(これやす)王(のち親王),後深草上皇皇子久明(ひさあきら)親王,その子守邦(もりくに)親王と,鎌倉幕府滅亡まで続いた。将軍の実権は親王将軍の出現によりいっそう弱体化し,北条得宗家が権勢を振るった。なお建武新政権下で後醍醐天皇の皇子護良(もりよし)親王,成良(なりよし)親王が征夷大将軍に任命されたのも,親王将軍に含めることができる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「親王将軍」の意味・わかりやすい解説

親王将軍
しんのうしょうぐん

鎌倉幕府9代の将軍のうち,親王が将軍となった後期の4人,すなわち6代宗尊親王 (在位 1252~66) ,7代惟康親王 (在位 66~89) ,8代久明親王 (在位 89~1308) ,9代守邦親王 (在位 08~33) をいう。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「親王将軍」の解説

親王将軍
しんのうしょうぐん

宮将軍とも。鎌倉幕府将軍のうち,後嵯峨上皇の皇子の6代宗尊(むねたか)親王,その子で7代惟康(これやす)親王,後深草上皇の皇子の8代久明(ひさあきら)親王,その子で9代守邦(もりくに)親王の4代の皇族出身将軍をいう。1252年(建長4)幕府の要請をうけた後嵯峨上皇によって宗尊親王が鎌倉に下されてから,1333年(元弘3)の幕府滅亡まで続いた。

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