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許筠 きょきんHǒ Kyun

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

許筠
きょきん
Hǒ Kyun

[生]宣祖2(1569)
[没]光海君10(1618).8.24.
朝鮮,李朝中期の文臣,小説家。字,端甫 (たんほ) 。号,蛟山 (こうざん) ,惺所 (せいしょ) 。官職は刊曹判書,左参賛にいたった。一門に著名な文人が多く,兄の筬,ほうはともに有名で,特に姉の許蘭雪軒は日本,中国にも知られた女流詩人。 25歳で文科に及第,たびたび明国への使節団に加わり,天主教に関する文献や白話小説を持帰った。しかし師の李達や友人たちが庶流出身のため登用されないことに同情し,王朝転覆の謀議に加担,事前に発覚して処刑された。小説『洪吉童伝』は,封建的な身分制度と,支配階級の搾取と圧迫に反対して立上がった義賊の活躍を描き,理想の王国として「ろっ島 (ろっとう) 国」の建設を描いている。現存する最古の本格的なハングル小説の代表作で,文学史上重要な位置を占める。ほかに詩,評論を収録した『惺所覆ほう藁 (せいしょふくほうこう) 』などがある。

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世界大百科事典 第2版の解説

きょいん【許筠 Hŏ Kyun】

1569‐1618
朝鮮,李朝中期の文人,学者。字は端甫,号は蛟山,惺所。父,両兄も当代屈指の文人で,特に姉の許蘭雪軒は日本,中国にも知られた女流詩人。許筠は26歳で文科に及第,詩文をもって一世を風靡し,数次にわたり明国へ使臣として赴いた。しかし傍若無人の言動と党争の激化にわざわいされてしばしば弾劾を受け,ついには反逆罪で処刑された。官職は左参賛に至った。彼は当時の朱子学を信奉する保守的な風土にあって,〈道徳は聖人が作ったものであり,情欲は天が与えたものであるから,自分は天に従って情欲に随う〉と高言してはばからず,道教,仏教に傾倒する一方,天主教の文献を中国から持ち帰って紹介するなど,進歩的な異色の思想家であった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説


きょいん / ホギュン
(1569―1618)

朝鮮、李朝(りちょう)時代の小説家。字(あざな)は端甫(たんほ)、号は蛟山(こうざん)。一門には著名な文人が多く、兄の許筬(きょせい)、許(きょほう)は当代の代表的な文人であり、姉の許蘭雪軒(きょらんせっけん)は朝鮮の代表的な女流詩人で一世を風靡(ふうび)した。許は26歳で文科に及第、刑曹判書(司法大臣)を経て左参賛にまで出世した。だが、当時詩文の第一人者といわれながら庶(しょげつ)(庶子)出身のため登用されなかった李達(りたつ)に師事したため、彼の影響を強く受け、両班(ヤンバン)階級の横暴と嫡庶差別に反発、政府転覆の謀議に加担して失敗、多くの同志とともに処刑された。ハングル小説の嚆矢(こうし)であり、代表的な古典である『洪吉童伝(こうきつどうでん)』の作者。ほかに『識小録(しきしょうろく)』『惺叟(せいそう)詩話』などがある。[尹 學 準]

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