改訂新版 世界大百科事典 「許筠」の意味・わかりやすい解説
許筠 (きょいん)
Hǒ Kyun
生没年:1569-1618
朝鮮,李朝中期の文人,学者。字は端甫,号は蛟山,惺所。父,両兄も当代屈指の文人で,特に姉の許蘭雪軒は日本,中国にも知られた女流詩人。許筠は26歳で文科に及第,詩文をもって一世を風靡し,数次にわたり明国へ使臣として赴いた。しかし傍若無人の言動と党争の激化にわざわいされてしばしば弾劾を受け,ついには反逆罪で処刑された。官職は左参賛に至った。彼は当時の朱子学を信奉する保守的な風土にあって,〈道徳は聖人が作ったものであり,情欲は天が与えたものであるから,自分は天に従って情欲に随う〉と高言してはばからず,道教,仏教に傾倒する一方,天主教の文献を中国から持ち帰って紹介するなど,進歩的な異色の思想家であった。文学史上,ハングル小説《洪吉童伝》の作者として有名であるが,漢文学でも当代第一の文章家,詩人であり,特に詩に対して高い眼目を有し,詩評に《鶴山樵談》《惺叟詩話》,詩の選集に《国朝詩刪》がある。小説,戯曲等の軟文学にも造詣が深く,彼の文集中の伝記類を中心とした部分は《喬山小説》として朝鮮文学史上有名である。《惺所覆瓿藁》43巻12冊が写本で伝わる(1962年に影印本刊行)。明代の革新的思想家李贄(りし)に比して朝鮮の李贄と称せられる。
執筆者:大谷 森繁
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報