改訂新版 世界大百科事典 「正名」の意味・わかりやすい解説
正名 (せいめい)
zhèng míng
中国,古代の名分概念。《論語》の〈名が不正だと,礼楽文化は衰微し,刑罰は不当になる〉(子路篇)の〈名を正す〉,つまり事物の実質を正確に認識する称呼(よび名)を保持すること。この名と実の正しい一致の主張には,孔子の当時の〈礼楽〉的貴族領主制の,君臣・父子の身分秩序を乱さず,孝悌道徳の壊敗を許しえぬ立場,敵対する鄧析(とうせき)(前545-前501)らの法的平等思想を忌避する態度が表明されている。孟子は,新しく編成された《春秋》を孔子の正名(名分)の具現とみて,そこから〈名を正して分を定め,情を求めて実を責める〉(欧陽修)君父制を重視する尊王思想を学びとろうとした。以後,人倫道徳と政治上の視野から〈《春秋》は〈名分〉を道(い)う〉(《荘子》天下篇)と評定された。
他方,論理学的観点から,名より実(客観対象)を優先する別墨系の〈墨経〉や楊朱,公孫竜ら唯名論派に対し,戦国末期の荀子は,告子以来の名(概念)優先を説く実念論派を代表し,その〈正名篇〉で,名辞(ことば)と志義(思惟)の関係を認識論風に展開した。これは《管子》の名分論のように君主権強化をはかる申不害,韓非子ら法家系〈刑名参同〉の臣下統御術へ向かい,〈正名審分〉(《呂氏春秋》審分篇)や〈循名責実〉(《淮南子(えなんじ)》主術篇)など秦・漢帝国統治の君臣間の〈名分〉を定着させた。三綱五倫の成立をみた儒家系の正名思想は,天意にもとづく君臣の義(君主と臣僚の関係法則)を軸にして董仲舒(とうちゆうじよ)系〈春秋学〉により確立され,後漢期の政術に応用され,のちの宋代における尊王攘夷の正名論に深く影響した。
執筆者:戸川 芳郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報