読売争議(読み)よみうりそうぎ

百科事典マイペディアの解説

読売争議【よみうりそうぎ】

第2次大戦後読売新聞社で起きた争議。1945年10月同社従業員組合を結成し,社長正力松太郎戦争責任幹部の退陣と社内の民主化を要求。これが拒否されたため組合は生産管理闘争に入った。12月正力が戦犯として逮捕されたため,組合の勝利に終わった。その後1946年7月占領軍から紙面左翼化を理由にプレスコード違反の警告があり,会社は編集幹部の解雇や左遷を強行。このため第2次争議が起こったが,組合が分裂し第二組合が成立。日本新聞通信放送労働組合は第一組合を支援したが,10月新聞ゼネストに失敗し,組合側は31名の退職者を出し惨敗した。

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世界大百科事典 第2版の解説

よみうりそうぎ【読売争議】

敗戦直後の1945年10月,読売新聞社の従業員は正力松太郎社長以下幹部の戦争責任を追及し,社内機構の民主化,待遇改善など5項目の要求を掲げて新聞の編集・製作・発送を自主管理する生産管理闘争に立ち上がった。この争議は同年暮れ,組合側が勝利を収め,経営協議会を設けて労働者が経営に参加,編集を資本から分離して,《読売新聞》が〈民衆の友となり……人民の機関紙たること〉を宣言した。これは商業新聞史上画期的なことであり,また生産管理の戦術を急速に普及させることになった(第1次読売争議)。

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世界大百科事典内の読売争議の言及

【生産管理闘争】より

…(1)第1段階(1945年10~12月)の〈生産管理〉闘争は,読売新聞社の第1次争議(1945年10~12月。読売争議)である。正力松太郎社長の戦争責任を追及したこの読売新聞の〈生産管理〉は,さしあたり争議戦術として採用されたものではあったが,〈闘争委員会〉による新聞〈編集権〉の確保,労務管理機構の掌握,労働時間の自主的管理等は,資本家的経営秩序を実態的に掘り崩すものであった。…

【馬場恒吾】より

…またリベラルなジャーナリストとして政治・人物評論などに筆をふるったが,第2次大戦中は政府によって執筆を禁じられた。45年正力松太郎の戦犯指名のあとをうけて《読売新聞》社長となり,第2次読売争議の弾圧にあたった。51年辞任,顧問。…

【プレス・コード】より

…総司令部は同29日〈新聞・映画・通信に対する一切の制限法令を撤廃の件〉を指令し,戦争中のいっさいの法令を廃止させたので,以後6年半にわたる占領期間中を通じてこのプレス・コードとラジオ・コードが日本のマス・メディアを支配したほとんど唯一の言論統制法規であった。実際にプレス・コード違反として軍事裁判で有罪とされたのは,48年の《日刊スポーツ》事件,49年の《連合通信》事件,《大阪民報》事件ぐらいだが,〈プレス・コード違反の疑い〉は第2次読売争議,レッドパージなど労働運動弾圧の口実として乱用された。【新井 直之】。…

※「読売争議」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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