改訂新版 世界大百科事典 「読売争議」の意味・わかりやすい解説
読売争議 (よみうりそうぎ)
敗戦直後の1945年10月,読売新聞社の従業員は正力松太郎社長以下幹部の戦争責任を追及し,社内機構の民主化,待遇改善など5項目の要求を掲げて新聞の編集・製作・発送を自主管理する生産管理闘争に立ち上がった。この争議は同年暮れ,組合側が勝利を収め,経営協議会を設けて労働者が経営に参加,編集を資本から分離して,《読売新聞》が〈民衆の友となり……人民の機関紙たること〉を宣言した。これは商業新聞史上画期的なことであり,また生産管理の戦術を急速に普及させることになった(第1次読売争議)。
しかし民主読売は,翌年5月の〈アチソン反共声明〉以後,右旋回するGHQのプレス・コード違反に問われ,労働者から〈編集権〉を奪い返すためのレッドパージ攻撃を受けて全面抗争に突入した。組合側は工場ストライキを決行,ロックアウト後は約半数の組合員が争議団を結成して編集権問題,不当労働行為をめぐる闘争を継続,〈産別十月闘争〉の柱となった新聞・通信・放送ゼネストに最後の勝敗をかけたが,朝日ほか大手新聞労組の脱落によって挫折し,組合幹部の自発的退社という形で128日間の争議を終結し,組合の統一を回復した(第2次読売争議)。
執筆者:増山 太助
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報