日本歴史地名大系 「諏訪大社下社」の解説
諏訪大社下社
すわたいしやしもしや
下社は諏訪湖北の平の東北部にあって、下諏訪町
上社とともに信濃国一之宮であり、「延喜式」に「南方刀美神社二座
諏訪大社が上下社に分れていることを明示したものとしては、「吾妻鏡」治承四年(一一八〇)の条が最も古く、同書には諏方下宮・諏方南宮下社とみえ、以後、諏訪下社などともよばれている。
上社とは同一の神社で、諏訪湖を挟んで並び立っており、諏訪湖のノ両宮アリ」と、ほとんど同じ神事が行われていることを示している。「画詞」に下社の神事として詳述されているのは、七月一日の神幸のみである。一方、上社の年内神事次第旧記には、三月の小(大)県の神使が下社にまで巡幸していることを示して「下宮神事、鵲宮湛馬場上湛、伴町おい河も何も御神事、(中略)下宮は夜明の肴ニ鯉なり」とある。また、同書には、上社の神事の際に、下社がしばしば所役を負担していることが記されており、中世における両社の関係を暗示している(下諏訪町誌)。
社殿の構成の上での特徴は春宮と秋宮に分れていることで、両社はほぼ同様の規模で、社殿も共通するものが多い。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報