改訂新版 世界大百科事典 「諏訪信仰」の意味・わかりやすい解説
諏訪信仰 (すわしんこう)
長野県諏訪にある諏訪大社上・下社を中心として民間にひろまっている信仰。古代には湖水の竜神あるいは霊蛇の信仰であったと考えられているが,そのなごりは民話や語りもの(甲賀三郎説話など),あるいは雨乞いの習俗などにうかがうことができ,諏訪明神が姿をあらわす場合に巨大な蛇体という形をとることは中世の《諏方大明神画詞》にもみえている。しかし,鎌倉時代にこれを氏神と仰ぐ諏訪氏が武士団を形成し,武家社会一般の間に軍神としての諏訪信仰が成立した。ことに坂上田村麻呂をみちびいて蝦夷(えぞ)を平定したという信仰は,さきの《諏方大明神画詞》にもみえている。これに伴って,関東・奥羽の豪族には諏訪神社をその領地に勧請するものが多く,東北地方や九州などには鎌倉御家人がまつりはじめた諏訪社が少なくない。なかには本社と同じく薙鎌(なぎがま)を神器とするところもある。
武士の信仰が発展し,武技としての狩猟が盛行するに伴って,諏訪の祭儀としての狩猟が重視されて狩猟神としての諏訪信仰が発生する。これはことに殺生を罪悪と教える仏教に対して,殺生は獣類を救って浄土に成仏(じようぶつ)させるための方便であるという,諏訪神人たちの神の託宣(諏訪の勘文と称される)という四句の偈(げ)によってひろめられ,全国に知られるようになった。これによって武士や狩人の殺生に対する不安が緩められたからであろう。諏訪の信仰をひろめる神人たちは各地に旅して,ある者は土着して語りものを語り守札を発行し,また獣肉を食べても穢れないとする箸(はし)(鹿食免(かじきめん)箸)を出してその教義をひろめた。伊賀,紀伊,京都などにそうした系統の家が知られ,近世末までに及んでいた。諏訪の祭りに魚鳥野獣の肉を捧げることが,仏教による殺生を悪とみる常識からは異常と感じられるようになって,これを理論的に説明することを要求されて生まれた信仰と考えられる。近世には農作物の害獣を駆除し豊作を祈る神としての信仰も成立した。
執筆者:千葉 徳爾
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報