諸田村
もろたむら
[現在地名]安岐町明治
安岐川の支流朝来野川の最上流域の山間に位置し、東は小俣村、南は中野村。安岐郷諸田の遺称地。小倉藩元和人畜改帳に村名がみえ、高一七三石余、家数一九、うち百姓七、庭屋・へ屋一一、人数四五、うち百姓七・名子二、牛八。正保郷帳では安岐郷に属し、田方八〇石余・畑方四八石余で、柴山有・竹山有・新田有と注記される。天保郷帳では高二八五石余。
諸田村
もろたむら
[現在地名]中津市諸田
大貞台地の北東端に位置し、西は定留村、南は犬丸村、北は周防灘。当村には芝原姓が多く、本自見名中にみえる芝原村・芝原名は当地をさすか。享徳三年(一四五四)一〇月八日の本自見名検見帳(永弘文書)に「□原名」「芝原」などとみえ、「□寿丸」「□わうのつほ」「いわミ」など同地内の坪名や芝原九郎右衛門・さこの三郎・源三郎などの作人の名もみえる。長享元年(一四八七)の重正段銭請注文案(同文書)によれば文明一六年(一四八四)には芝原名一丁五段のうち八段半は反銭沙汰、残りは「石見」の用作や春秋分(三三六文)にあてられていた。
諸田村
もろたむら
[現在地名]筑紫野市諸田・桜台一―二丁目
常松村の南、南東流する宝満川右岸にある。天文二年(一五三三)二月一日の大内氏奉行人連署奉書(竹井文書/福岡県史資料五)によれば、「三笠郡諸田拾捌町」のうち五町が勲功の賞として温科盛長に宛行われ、同二一年三月一一日の温科盛長譲状(同上)では諸田村の一五石などが盛長より温科弥四郎に譲与されている。小早川時代の指出前之帳では諸田村の田二一町二反余(分米一九六石余)・畠五町六反余(分大豆二三石余)。慶長七年(一六〇二)の検地高は三〇八石余(慶長石高帳)。元禄五年(一六九二)には高三一三石余、家数一四・社一、人数一〇三(田圃志)。
諸田村
しゆだむら
亀津村の北方に位置し、東部は海に臨む。神之嶺崎とその南にシンデ浜がある。東間切井之川
のうちで、「三州御治世要覧」では東間切一二ヵ村のうちに「諸田村」とある。寛文一〇年(一六七〇)頃、諸田村に溜池ができ、また初めて観音堂が建立されたが、破損して荒寺になったため、宝永五年(一七〇八)以前に亀津に移している(徳之島前録帳)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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