日本歴史地名大系 「谷村陣屋跡」の解説
谷村陣屋跡
やむらじんやあと
宝永元年(一七〇四)の谷村藩主秋元氏の武蔵川越移封に伴って幕府領となった都留郡を管轄した陣屋。谷村代官所ともいう。秋元氏の重臣高山甚五兵衛(源五郎)の旧宅を陣屋とし(甲斐国志草稿)、跡地は現在の都留簡易裁判所にあたる。陣屋取立てについての史料には恵まれないが、陣屋敷地は塀で総囲いされており、天保九年(一八三八)の郡中賄いについての代官お尋ねに対しての返答書(渡辺洋男家文書)によれば、総囲い内に本陣一・長屋四のほか囲籾蔵四・番小屋一があり、稲荷社も祀られていた。年貢を収納した米蔵は現
〔代官の変遷〕
秋元氏の転封が完了した宝永二年三月には、幕府代官町野惣右衛門・清野与右衛門が都留郡へ触書を出している(「幕府代官諸法度廻状」小林時政家文書など)。私領から幕府領への変化に伴い、幕法と先の城主(秋元家)の法度を順守することが記されている。ただし同年一二月の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報