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谷真潮 たに ましお

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美術人名辞典の解説

谷真潮

国学者。初名挙準、通称虎蔵・丹内。号北渓。垣守の長子。賀茂真淵に国学を学び、神儒の一派を開く。藩主山内豊雍の侍読となり、浦奉行・郡奉行・普講奉行・大目付等に累進し藩治に功績をのこす。和歌を能くし家集もある。寛政9年(1797)歿、71才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

谷真潮 たに-ましお

1727/29-1797 江戸時代中期-後期の国学者,儒者。
享保(きょうほう)12/14年生まれ。谷垣守(かきもり)の長男。土佐高知藩士。祖父谷秦山(じんざん)にはじまる家学をうけ,賀茂真淵(かもの-まぶち)に国学と和歌をまなぶ。藩校教授館(こうじゅかん)教授。天明の藩政改革では大目付となり,緊縮財政などを断行した。寛政9年10月17/18日死去。69/71歳。幼名は挙準。通称は丹内。号は北渓。

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朝日日本歴史人物事典の解説

谷真潮

没年:寛政9.10.18(1797.12.5)
生年:享保14(1729)
江戸中期の国学者。土佐(高知)藩士谷秦山の孫,谷垣守の長男。幼名挙準,字丹内,小字虎寿,号北渓。真潮は名。10代の終わりに稲垣長諷に歌の添削を受けた。20歳のとき上京,帰国後父の紹介で賀茂真淵に入門し,歌の添削を受けた。祖父の代より家学となっている神道においてはそれに満足せず,独自の学説を立て,父は「我家悪魔を生ず」といったという。宝暦10(1760)年藩校教授館教授。のち浦奉行となり,天明の藩改革に際しては藩主山内豊雍に抜擢され,郡奉行,普請奉行を経て大目付の重職に付き,改革政治を断行,寛政3(1791)年に辞職した。

(飯倉洋一)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

たにましお【谷真潮】

1727‐97(享保12‐寛政9)
江戸後期の国学者,儒学者。通称は虎蔵,字は丹内。北渓と号した。祖父重遠(しげとお),父垣守(かきもり)と3代続いた土佐藩儒として名高い。家学を承けて儒学,神道を修めたが,のち神道は賀茂真淵の影響を受け,家学の殻を破るにいたる。また孫子を好んで軍学もよくした。藩主の知遇を得,浦奉行,大目付の要職を歴任して藩政に参与し,辞職後は藩学の興隆に尽力,その影響下に尊王の士を輩出せしめた。著書《神道本論》《論仏》《御国の学》《北渓集》等。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

谷真潮
たにましお

[生]享保12(1727).土佐
[没]寛政9(1797).10.18.
江戸時代中期~後期の国学者。通称は円内,号は北渓。秦山の孫。初め家学を継いで土佐藩の教授役となったが,江戸に出て賀茂真淵に国学を学んだ。大目付にまで進み,藩政改革に努める一方,国学を奨励した。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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