豆田村(読み)まめだむら

日本歴史地名大系 「豆田村」の解説

豆田村
まめだむら

[現在地名]桂川町豆田

土居とい村の西に位置する。村の西を大川(現穂波川)が流れ、村内を長崎街道が通る。田圃志に枝村いわはなが記される。「続風土記」は古くは「大豆村」とよんだとし、正保郷帳には「大豆田村」とある。承応年中(一六五二―五五)に大川べりから当地に移されたとい(続風土記附録)。文和三年(一三五四)前鎮西管領一色道猷(範氏)は安楽寺(太宰府天満宮)和歌所に「穂波郡国次名号豆田村田地拾町武藤豊前五郎入道興恵跡地頭職」を寄進し(同年一二月一七日「一色道猷寄進状」大鳥居文書/南北朝遺文(九州編)三)端裏書に「一色殿御下文目録」とある一四世紀半ば頃の年月日未詳相良定頼并一族等所領注文(相良家文書/大日本古文書五―一)には、斉藤十郎分として「穂波郡内大豆田村田地弐拾伍町武藤大豆田小五郎跡」が記載されている。


豆田村
まめだむら

[現在地名]邑久町豆田

現邑久町の北西端、吉井川と干田ほした川とに挟まれた平地にある。吉井川を挟み西はうちはら(現岡山市)で、船渡しがあった。古くは吉井川上流の福岡ふくおか八日市ようかいち福永ふくなが(現長船町)の諸村とともに上道郡に属したとされ(「備陽記」など)、「和名抄」上道郡に豆田郷がある。中世には福岡庄に含まれ、通称として残る八丁はつちようは同庄吉井よしい村のうち「八町河原」の遺称と思われる。暦応四年(一三四一)「吉井村内八町河原」等の預所職は快円が所有していた(同年閏四月八日「快円請文」東寺百合文書)


豆田村
まめだむら

[現在地名]作東町豆田

吉野よしの川を挟んで山手やまて村の東に位置。正保郷帳に村名がみえ、田九五石・畑四八石余。元禄一〇年(一六九七)美作国郡村高辻帳では改出高三二石余・開高五石余、村位は上。津山藩森氏断絶後の領主変遷は不明確だが、幕府領のあと延享四年(一七四七)常陸土浦藩領、寛政二年(一七九〇)幕府領(「美作国郷村支配記」など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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