出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
Sponserd by 
大内義長
大内[おおうち]氏最後の当主です。大内義隆[おおうちよしたか]の死後、陶晴賢[すえはるかた]によって、大友宗麟[おおともそうりん]の弟であり、義隆のおいにあたる晴英[はるひで]が大内家にむかえられ、義長と名乗りました。しかし、毛利[もうり]氏に攻めこまれ、下関市長府の長福寺[ちょうふくじ]で自害しました。
出典 ほうふWeb歴史館防府市歴史用語集について 情報
Sponserd by 
世界大百科事典(旧版)内の大内義長の言及
【豊前国】より
…この戦いは大内方の敗北となり,やがて将軍の仲介で38年両氏の和睦が成立した。その後,豊後守護[大友宗麟]の弟晴英が大内義隆の養子となり,51年には大内氏を相続し大内義長を名のった。しかし55年(弘治1)に中国地方に毛利元就が興って,57年には大内義長を攻め滅ぼした。…
※「大内義長」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
Sponserd by 