桂川町(読み)けいせんまち

日本歴史地名大系 「桂川町」の解説

桂川町
けいせんまち

面積:二〇・〇七平方キロ

嘉穂郡の中央やや南に位置し、東は稲築いなつき町・碓井うすい町、南は嘉穂町、西は筑穂ちくほ町、北は穂波ほなみ町に接する。町域の中央を馬見うまみ山地水源とする泉河内いずみごうち川が北流し、北西部には三郡さんぐん山地を水源とする馬敷ましき川・穂波川が、西には又手またで川が流れる。泉河内川にはうら川・西郷さいごう川などの支流が合流している。泉河内川の東側南寄り、碓井町・嘉穂町との境に長谷はせ(三一一・二メートル)、西側南寄りの嘉穂町との境に弥山ややま(三七七・七メートル)、北側の穂波町との境に大将陣たいしようじん(一一二・四メートル)がある。泉河内川・穂波川に沿った丘陵には水田地帯が広がる。「和名抄」に載る古代穂浪ほなみ土師はじ郷が町域内に比定される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「桂川町」の意味・わかりやすい解説

桂川〔町〕
けいせん

福岡県中部,嘉穂盆地南部にある町。 1940年町制。遠賀川の支流泉河内川,穂波川が形成した沖積平野古第三紀層の丘陵地に位置する。明治中期,炭鉱が開かれてから急速に発展。 40~52年にかけてが最盛期で,人口も一時2万をこえた。 53年以降エネルギー革命の影響によって 10の炭鉱が閉山し,農業の町に戻った。 63年からは産炭地域振興事業として企業誘致に力が注がれ,機械工業などの工場の立地が進んだ。 68年篠栗線が八木山トンネルを通って福岡市に直結してからは,住宅地化が著しい。民芸品の土師 (はじ) 焼は特産。 1934年に採土工事中に発見された王塚古墳は最大の装飾古墳として知られ特別史跡に,また多くの出土品は重要文化財に指定。 JR筑豊本線が通り,桂川で篠栗線を分岐。面積 20.14km2。人口 1万2878(2020)。

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