豊後橋(読み)ぶんごばし

精選版 日本国語大辞典 「豊後橋」の意味・読み・例文・類語

ぶんご‐ばし【豊後橋】

  1. 宇治川にかかる観月橋の別称。京都市伏見区の豊後橋町向島橋詰町を結ぶ大和街道(現、国道二四号)の橋。豊臣秀吉が伏見城造営のときに大友豊後守宗麟に命じてかけかえさせたところから呼ばれた。桂橋

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「豊後橋」の解説

豊後橋
ぶんごばし

豊後橋町と向島橋詰むかいじまはしづめ町の間の宇治うじ川に架かる。月見の名所指月しげつに近いことから、観月橋の別称もあり、また「拾遺都名所図会」に「指月の西にあり。秀吉公の御時、向島に大友豊後守乃第ありしより名とす。伏見院皇居の時は桂橋といふ。指月の縁に基づくなり」と記しかつてはかつら橋と称したとする。しかし、槇島まきしま堤で宇治川を改修し、指月近くまで川を北上させ、向島との間に橋を架けたのは豊臣秀吉であり、架橋当初に桂橋とよばれていたとか、大友豊後守吉統が秀吉の命によって架橋したので豊後橋とよばれたという伝承や解釈もあるが、北詰にあった大友豊後守屋敷にちなんだものと考えるのが妥当であろう。


豊後橋
ぶんごばし

常盤ときわ橋から約一二〇〇メートル南に架かる。小倉城主細川忠利のとき豊後国速見はやみ郡・国東くにさき郡の領民の申出により小倉城下近くの諸役目を免除、その代りにむらさき川の橋を架直したことから、豊後橋と名付けられたという(倉府俗話伝)。あるいは忠利の代、豊後の領民が法に背いて入牢、その死罪が許されれば橋を架直すと出願、架橋がなったとも伝える(倉府俗話伝追加)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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