ニグロ・スピリチュアルnegro spiritualの訳語。アメリカ黒人のキリスト教音楽。その総称として用いられることも少なくないが,本来は,歌曲として楽譜化されたもののみを指す。
奴隷解放直後の1871年にテネシー州ナッシュビルで組織された黒人学生11名の合唱団フィスク・ジュビリー・シンガーズFisk Jubilee Singersが,奴隷たちの歌っていた民謡と称して《誰も知らない私の悩みNobody knows the trouble I've seen》《スウィング・ロウ,スウィート・チャリオットSwing low,sweet chariot》などを歌い,評判になった。この合唱団を指導したのは白人のホワイトGeorge L.Whiteで,黒人の歌からセンチメンタルなメロディと素朴な信仰心を表す歌詞を取り出し,賛美歌風に和声づけして白人聴衆の好みに投じた傾向が見られる。それらの歌はさらに他の合唱団や歌手たちに歌われ,チェコの作曲家ドボルジャークが1893年に発表した交響曲《新世界から》に黒人霊歌風な旋律を使うなど,アメリカ民衆文化を代表するものとして広く親しまれるにいたったが,素朴で従順なニグロ,という黒人のイメージを補強する役割を果たしたことは否めない。通俗的な楽譜や職業歌手のレコードで世界に流布したそのような歌を指す言葉が黒人霊歌であって,黒人たち自身が教会や家庭で実際に歌っている宗教歌をも含めた総称としてこの語を使うとしたら,それは他に適切な用語がないための便宜的な代用と考えるべきである。
アメリカ黒人の間でキリスト教が普及したのは奴隷制末期の18世紀後半からで,初期には,黒人にキリスト教を与えるのは好ましくないというのが白人の支配的な考え方だった。18世紀中葉に,信仰復興運動が白人の下層民衆の間で盛り上がり,その感化で自由を意識する黒人のなかから牧師となって教会を持つものも現れた。黒人にもキリスト教が広まり,奴隷所有者たちもそれを黙認ないし奨励するようになった。日曜日の黒人の礼拝のようすを描写した当時の記録によれば,輪になって踊りながらすり足で時計と反対方向に回り,リーダーと会衆とが掛合いで歌い(交互唱),興奮が高まって憑依状態に達することもあったといわれる。これをリング・シャウトring shoutという。信仰復興運動での白人民衆の礼拝のやり方もかなり荒々しい熱狂を伴ったとされるが,黒人のリング・シャウトには明らかにアフリカ的要素が混入している。もちろん,キリスト教は黒人が白人から学び取ったものであるから,白人の賛美歌のたぐいから歌詞や旋律の多くを得ているのは事実だが,それをアフリカ的伝統であるリズム感や交互唱,シャウトする歌い方といった鋳型にはめこんで作り変えた(ポール・オリバーによる比喩)のが黒人の宗教歌であり,そこから再び旋律など白人的要素を重点的に抽出したのが黒人霊歌だったといえる。
奴隷解放後は,南部各地さらに北部・東部都市の黒人居住区に数多く生まれた黒人教会を拠点として独自の宗教音楽が発展を続け,ことに1920年代から50年代にかけて,シャウト唱法や強いビートをさらに強調したゴスペル・ソングgospel songが大きな盛上がりを見せ,女性ソロ歌手のマヘリア・ジャクソンが非黒人間にも高い評価を得たほか,数多くのコーラス・グループが黒人教会を巡回したりレコードを出すなど活発に活動した。60年代にはモダン・ジャズ界でゴスペル・ソングの曲調を取り入れることが流行し,リズム・アンド・ブルースにゴスペルの影響が深く入り込んでソウル・ミュージックを生み出すなど,黒人民衆音楽の重要な柱のひとつとして今日まで生き続けている。
執筆者:中村 とうよう
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
アフリカ系アメリカ人が奴隷時代につくったキリスト教宗教歌。ブラック・スピリチュアルズ。かつては「ニグロ・スピリチュアルズ」とよばれたこともあったが、現在はほとんど用いられていない。つくられた時期も作者も不詳だが、19世紀初頭ごろにプロテスタントのイギリス系白人の農場で働く奴隷黒人たちが歌い始めたことは確かと考えられる。歌詞の内容は『旧約聖書』中の物語に取材したものが多く、苦しい現実からの逃避、キリスト教が約束した信仰による来世での自由と幸福の希望が歌われる。音楽的にはアフリカ的要素とヨーロッパ的要素が融合され、五音音階を基調とした単純な音階、シンコペート(切分)されたリズム、躍動するビート感覚などを特徴とする。黒人たちの集まりで合唱され、合唱音楽として整えられ発達した。
黒人霊歌は、19世紀後期の大衆娯楽の一つである旅回り芸能集団ミンストレル・ショーに取り入れられて普及した。また、黒人教育とキリスト教伝道のためテネシー州ナッシュビルに設立されたフィスク大学が資金難となったとき、資金募集を目的として結成された合唱団フィスク・ジュビリー・シンガーズThe Fisk Jubilee Singersが1871年から全米各地およびヨーロッパでも公演したことによって広まった。そして、ゴスペル・ソングやジャズの母体の一部ともなり、今日ではアメリカ民謡の一種となっている。代表的な名歌に『深い河』『だれも知らない私の悩み』『スイング・ロウ、スイート・チャリオット』『ジェリコの戦い』『行け、モーゼ』『時には母のない子のように』などがあり、世界的に親しまれている。
[青木 啓]
『ジェイムズ・H・コーン著、梶原寿訳『黒人霊歌とブルース』(1983・新教出版社)』▽『北村崇郎著『ニグロ・スピリチュアル――黒人音楽のみなもと』(2000・みすず書房)』▽『小川洋司著『深い河のかなたへ――黒人霊歌とその背景』(2001・音楽之友社)』
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