日本歴史地名大系 「越水城跡」の解説
越水城跡
こしみずじようあと
近世初頭頃までの山陽道に面した標高二二メートルの丘陵上にある。城跡の南・東側は西摂の平野が広がり、北西側には
「瓦林政頼記」によると、越水城の築城の様子は「毎日五十人、百人シテ堀ヲホリ壁ヲヌリ土居ヲツキ矢倉ヲ上ケレハ鍛冶・番匠・壁塗・大鋸引、更ニヒマコソナカリケリ」というものであったという。政頼は同城を常の居所とし、「外城」には子息や一族を、そのほかの家臣は西宮にそれぞれ居住させ、摂津では無双の大名であったと記している。なお「聾盲記」永正一七年二月三日条に「河原林城号小清水」とあるように、城主の名にちなんで
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報