江戸中期の洋方産科医の鼻祖。武家の井上正広の子として江戸に生まれる。薩摩(さつま)藩医足立梅庵(ばいあん)に師事し、その養嗣子となった。多紀元簡(たきもとやす)(桂山(けいざん))に漢方を、加賀藩医吉田長淑(ちょうしゅく)(1779―1824)に蘭学(らんがく)を学んだ。篠山(ささやま)藩医になったこともあるが、洋方産科医のいないのを憂えて自ら修業し、一家をなした。門人には牛痘研究者の井上宗端(そうたん)(1785―1861)や順天堂の開祖で佐倉藩医の佐藤泰然らがいる。内科医書『医方研幾』『産科礎(いしずえ)』などを記述した。
[末中哲夫]
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(石原力)
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